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ショートカットが好き。

『秋竹朋子の声トレ!』を読み終わりました。
普段、本を読むんですけど、自分がどれくらいのペースで読んでいるのか気になっているので、無重力に読書記録として書いていこうかなと。

秋竹朋子の声トレ! ~一瞬で魅了する「モテ声」と「話し方」のレッスン~

いま通っているボイトレの先生が書いた本。トレーニング方法が書いてあるから、自宅での練習用に買いました。

声が変わると人生が変わる的なことも書いてあって、最後の方には話し方のレッスンもあります。その中に「愛嬌力をつけるセリフ」っていうのであったのが、褒められた時の返事で「ありがとうございます、嬉しいです!」「このあいだ褒めていただいたので、今回は3倍がんばっちゃいました」ってのがあって笑ってしまった。たぶん、愛嬌があるんだろうけど、こんな女の子がいたら笑ってしまう。
ちなみにこのセリフは『人に好かれてうまくいく「愛嬌力」』という本からの引用らしいですが。

ほかの幾つかの愛嬌あるセリフもどうにも好きじゃなかった。なんか台詞がキャピキャピしてた。女子アナとかがいいそう。あ、女子アナが好きじゃないや。そういうことだ。完璧に僕の女性の好みの問題です、すいません。

女子アナが好きじゃないので思い出したけど、涙袋が美人の条件っていうのも全然わかんない。涙袋がないほうが綺麗な気がするんだけど。

ほらー、僕って変わってるからー、
世間の感覚とズレてるからー、
独特な感性もってるからー
みたいな。

あ、本に関しては普通のトレーニングの本ですよ。
最後にTPOに合わせた話し方とか、感情表現豊かな会話についてとかが書かれているのがいいなと思う。

 * * * * * * * * *

こんだけで日記が終わるとつまんないから女性のファッションについて書いておこうっと。

高校生の時にですね兄が「すげー本がツタヤにあった」っていって見せてくれたものがありまして
「DATA WATCH」ってゆー、えーとですね、いま本棚から引っ張り出してきたんですけど2003年のムックでして、どんな本かというとツタヤ会員の買い物の情報をまとめた、いまでいうビッグデータ的なマーケティングの本なんですよ。
Tポイントカードで買い物するとその人の買い物履歴が全部残ってて、ツタヤがそれを使って商売なさってるわけですけど、この本はシリーズものみたいですけど、その第1号のテーマが「女性ファッション誌 徹底分析、誰がこの雑誌を買っているのか?」というもので、MOREとかnon-noとかJJとかのファッション誌を買っている人がどんな年齢層で、どんなCDをレンタルしてて、どんな映画をレンタルしてて、どんな本や漫画を買っていて、さらにアンンケートで独身かとか好きなタレントが誰かとかが、まとめられているのです。

さらに「おおたうに」さんのイラストとズバズバ切った文章が添えられていて「この雑誌を買っている女性はこんな人」っていうペルソナといいますか、性格とかまで含めた女性像が雑誌ごとにできているのです。当たり前といえば当たり前ですが、雑誌によって女性像が全然ちがうわけですよ。音楽の趣味もちがってて安室奈美恵が多い雑誌と浜崎あゆみが多い雑誌は違うんですよ(2003年だからミュージシャンはそこらへん)。好みの男性タレントも違うわけですよ。
そんな本を2003年からずっと持ってんなよって感じですが、普段読んでるわけじゃないですよ?10数年ぶりに開きましたよ。

いや、これ読んでね、何を思ったのかっていうと、女性にとってファッションとは「どう見られたいか」であり、それは同時に「どう生きたいか」ということなんだなと、そんなことをぼんやり思ったのです。
(ちなみにこれは「私はどう見られるかなんて意識しないわ〜」という生き方まで含んでしまう)

男性もそうではあるんですが、そこまで意識してない人が大半ですよね。学生時代はなおさら。意識してるレベルも全然違うと思う。

だから生き方が似ている人ってファッションとか外見も似ますよね。美大生の女の子は他の大学に比べてショートカット率が高いと思うし。そして美大の男子はショートカットが好きらしい。(たしか谷口菜津子さんが漫画で描いてた気がする)
本当かどうか知らないですが、僕はショートカットの女性が好きです。あ、僕が美大生かどうかは知らん。武蔵美に2年だけ行ったけども。

はい、今日の結論。泰人はショートカットが好きです。

練習だけしてても、そりゃダメなんですわー。

作品が100個あるって書いたけど、全部が3分とか4分とかってボリュームではないです。短い作品もありますよ。2〜3年前はVineで公開する仕事が多かったので、Vineって6秒の動画だから6秒の映像も20個近く作ってます。そういうのもあわせて100個ね。

短いものが長いものよりランクが下だとは思いません。
撮影するコマ数は少ないですけど。
短いものには短い世界での成立のさせ方があったりするわけですよ。

短いものばかりを作ってても長いものは作れるようにはならないですけど。

そうそう、ピクサーの本にも書いてありましたよ。

『ピクサー流 創造するちから』という本です。
分厚いですがおすすめ。超おすすめ。

Amazon『ピクサー流 創造するちから』

ピクサーの社長であり、いまのディズニーアニメーションスタジオの社長であるエド・キャットムルさんが書いた本なんですが、アート的な作業をちゃんとビジネスにするにはとか集団で作っていくにはどうしたらよいかという事がこれでもかと書いてあります。
ハウツー本みたいに方法論だけを書いたものではなく、キャットムル氏がこれまでの経営の中でいかに悩んで試行錯誤してきたかという奮闘記なので、読んでて面白いです。会議の席順が大事だと気づいてから「この机をいますぐ捨ててくれ!」って叫ぶくだりとか、イイです。ピクサー作品の脚本がなぜあんなにも優秀な点数を出し続けているのかも作り方について書かれています。

その中にあった話。ピクサーは毎回、本編の前に短編を発表していて、そこであたらしい技術を試したり若手を起用したりしてるんですが、それをやってて結果として分かったのは「(監督や脚本家には)短編を何本も作っても、長編を作る力にはならない」ということでした。

これは短編がダメということではなく、短編と長編はまったくの別物ということ。
ストーリー展開・カットの間やテンポ・ストーリー説明の量・台詞回しなどなど、すべてが短編と長編では適したバランスが違う。

つまり、長編を撮りたい人は、長編を撮りにいくしかないんです!
短編で練習をしてもいいけど、練習はあくまで練習なんです。

漫画を描きたい人は、1枚イラストの練習ばかりしていてもダメなんです。

バッティングの練習だけしてても、それは試合ではないんだよ。

本番を迎えな!

練習ばっかしてないで!

あー、だれに何を言っているのわからないけど。
そういうことよ。

あ、それと、本番を迎えるというのが一番成長します。
練習効率がハンパなくいいです。

これはピアノの練習をしていた兄貴が言っていたんですけど、

発表会に出るって決まったら、練習の質が変わった。
あと、発表会でしたときの失敗とかがすごく意識されてて
普段の練習とは全然ちがう。
成長の度合いが違う。

この場合の本番というのは「人に聞かせる」というのが大きいかな。

人に見せないと、成長しないよ。
友達にでもいいし、YouTubeでもいいし、路上でもいいけど、
何かつくっているなら人にみせないとダメですよ。

これは本当にダメですよ。
人はひとりでは成長しないからね。残念なことに。
ひとりで成長できたらいいんだけどね、どうにもできないんだよ。

無様な自分をさらすことになるけどね、
人に見せて、リアクションをもらいなさい。
良いリアクションも悪いリアクションも、全部自分の血と肉になるので。
食べ物はよそからとってくるでしょ。
自分の肉を食べていてもそれは栄養摂取ではないのよ。

あーなんで、こんな厳しいこと書いてんだろ。
もういいや、書くことストップ。

通販でカラーボックス買ったんですよ。2個。
でも組み立ててみたらサイズを間違えてたんですよ。思っていたのより20cmも高かったんです。組み立ててる時は横に倒してたから全然気づかなくてですね。ネジをぜんぶ閉めて、ヨイショって立ててみたら「ん???高い???」ってなって。
これだと置きたいところに入らないんですよ。
ちょっと今落ち込んでるんです。

じゃあね。

『幼年期の終わり』読み終わりました。

大学の先輩の越智さんのおかげでこのワードプレスの気に入らないいくつかが修正されました。
ヘッダー画像(現在キリンのやつ)がなぜか左にずれていたのを中央揃えに、
個別の記事ページにいくとタイトルが灰色になっていたのを黄色に直しました。
ありがとうございました!
まだ直したいところはあるけれど、とりあえずこれでいいや。

越智さんはシステムエンジニアではなくプロコーチです。
なんのことかわからんでしょうが、それについてもいつか書きます。

プロコーチ越智さんのサイトはこちら
心の境界線研究所

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さてー、『幼年期の終わり』を読み終わりました。
自分の読書記録としてここにメモしておきたい。

1953年の小説
作者はイギリスのSF作家、アーサー=C=クラーク。

有名なのは『2001年宇宙の旅』の作者ってことですね。
そのことは全然知らなくて読み終わった後の解説を読んで知ったんですけど。
そっちも今度読もうかな。

内容とか全然しらずにタイトルを見て買ったんですよ。
Bloodborneという血がブシャブシャ飛び散るグロいアクションゲームがありまして、PS4なんですけど、それを1年くらいずっとやってました。このゲームはすごい好きです。ダークソウルシリーズも好きだけどいろんなセンスはBloodborneの方が好きやわ。

それのエンディングのタイトルが「幼年期のはじまり」だったんですね。
(ゲーム中にストーリー分岐があって3つのエンディングにそれぞれタイトルがあるのです)
それで、先日というかいつか忘れたけどAmazonで買い物をしているときに「おすすめ」でこの小説が出てきて「このタイトルは!?」とびっくりして、ちょこっとだけネットで調べて(調べすぎるとネタバレがこわいから)Bloodborneの元ネタらしいということで買って読みました。

小説すんごい面白かったです。

以下、『幼年期の終わり』と『Bloodborne』のネタバレを含む感想です。
Bloodborneには「上位者」というモンスターというか、ざっくり言って超きもちわるい宇宙人が出てくるんですけど、『幼年期の終わり』にも上帝(オーバーロードと呼びます)という宇宙人が出てきました。こちらも気持ち悪くて古い宗教にでてくる悪魔にそっくりな見た目という設定。
ですが、僕の頭の中では翼が生えた山羊の頭の悪魔ではなくBloodborneのラスボス「月の魔物」のイメージで読んでました。

そして、巨大な眼球の描写もあったよ!
Bloodborneにちょいちょい眼球がモチーフとして出てきたり、巨大な脳みそとそれにくっついた巨大な目ん玉の敵(敵かどうかわかんないけど)がでてくるんですが、『幼年期の終わり』にも似た様なものが出てきたよ!直径100メートルくらいの目玉だけの生き物。

まー、これをパクリというのは違うと思う。
僕もなにかしら作ってる人種としてコメントしたいのですが
「あ、このキャラおもしろいから、自分の作品にも出しちゃお☆」みたいな考えではないのです。

1つの作品だけが元ネタなわけではなくて、いろんな作品を見てて、
自分の好みのモチーフをいくつもみつけるなかで
「やはり、これは面白いアイデアだ」って判断して
いろいろとまぜこぜしながら作るんですよね。
Bloodborneの元ネタは他にはクトゥルフ神話とかが言われてます。

ミームと言いますか、そういう作品の起源をさぐるのは好きです。

あるいはシンクロニシティという言い方ができると思う。

同じ様な作品を作る人たちというのは根っこの部分から似ていて、
オリジナルで発想しようとも、似てしまうのです。
コマ撮り作品で「月」をモチーフにしたものを作ろうと思ったら
月の作品を知り合いから立て続けに見せられたり。
コマ撮り作家(あるいは広くアニメ作家)は動物とか月とか海と魚が大好きです。
ネタがかぶりまくりです。

違う違う、『幼年期の終わり』の話がしたい。
宇宙人オーバーロードがやってくるところから話がはじまるんですが、そこから僕はずっと興奮しっぱなしでした。SF小説が好きなんですけど、SFの中でもどういうのが好きかというと、新しい技術とか時代が進んで人々の生活とか死生観とか宗教がどう変わっていったのかっていう描写があるのが好きなんです。

人間よりもはるかに文明がすすんだオーバーロードがやってくることによって人類の進化は一足飛びで進んでしまって、人々はそれを受け入れられるのか、また人々の考え方はどうかわってしまうのか。そういうのが気になって先を読み進め、そしてそういった描写がしっかり描かれていてとても満足でした。

終わりはバッドエンドのようなもんなんですけど。こういった人の存在よりも大きな存在(宇宙人とか宇宙の流れそのものとか)がでてくると、どうしたってハッピーエンドにはなりにくいよねー。というか、SF作家たちは基本ユートピアとかハッピーエンドは描かないよね。デストピアものも多いし。
誰が言っていたのかわかりませんが「こういう技術ができました。だから生活はこんなに便利になりますよ!というのは現代の技術者がすることで、その技術が発達することでどんな危険があるかを描くかがSF作家」みたいなことを聞きました。
すごくわかる。
フィクションだからこそ警鐘をならせるし、そもそも便利で明るい未来なんてものを単純に描いてもしょうがないしなーって思う。

ハッピーエンドではないですが、終わりはとてもよかったです。いくべきところへ人類は行ってしまったんです。

これほど巨大な物語は他に読んだことないかもなー。
良いとか悪いとかではないね。
ただただすごかった。

話の中で時代がすすんでいくので最初から最後まで通した人間の主人公というのがいないから、
普通の話が好きな人にはおすすめしにくいかもしれん。
そうだ、この話の中で、バッハの旋律を一人で聞く、という描写があったんですよ。
ちゃんと引用しておこう

彼は鍵盤の前に坐り、愛するバッハの旋律を空気中に満たしつつ過ごしていた。

サカナクションの曲で『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』というのがあって歌詞にも
「バッハの旋律をひとり聴いたせいです。こんな心」というのがあって、その曲が好きだもんだからちょっとびっくりしました。
たぶん、関係ないんだけど。

人類最後の男がひとりで何をしたかって、バッハを聴いて、ピアノの練習をするんですよ。
密かになりたいと思っていたピアニストにようやくその男はなれたんですよ。

そのくだりがとても良かった。

地球最後の日がきたら何をするかなーって考えると僕はコマ撮りをするかもしれん。
そんで作った映像をYouTubeにアップして、遠い未来に
「地球最後の日に作られたコマ撮り映像!」ってバズるのを夢見る矛盾。

でわー。