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ショートカットが好き。

『秋竹朋子の声トレ!』を読み終わりました。
普段、本を読むんですけど、自分がどれくらいのペースで読んでいるのか気になっているので、無重力に読書記録として書いていこうかなと。

秋竹朋子の声トレ! ~一瞬で魅了する「モテ声」と「話し方」のレッスン~

いま通っているボイトレの先生が書いた本。トレーニング方法が書いてあるから、自宅での練習用に買いました。

声が変わると人生が変わる的なことも書いてあって、最後の方には話し方のレッスンもあります。その中に「愛嬌力をつけるセリフ」っていうのであったのが、褒められた時の返事で「ありがとうございます、嬉しいです!」「このあいだ褒めていただいたので、今回は3倍がんばっちゃいました」ってのがあって笑ってしまった。たぶん、愛嬌があるんだろうけど、こんな女の子がいたら笑ってしまう。
ちなみにこのセリフは『人に好かれてうまくいく「愛嬌力」』という本からの引用らしいですが。

ほかの幾つかの愛嬌あるセリフもどうにも好きじゃなかった。なんか台詞がキャピキャピしてた。女子アナとかがいいそう。あ、女子アナが好きじゃないや。そういうことだ。完璧に僕の女性の好みの問題です、すいません。

女子アナが好きじゃないので思い出したけど、涙袋が美人の条件っていうのも全然わかんない。涙袋がないほうが綺麗な気がするんだけど。

ほらー、僕って変わってるからー、
世間の感覚とズレてるからー、
独特な感性もってるからー
みたいな。

あ、本に関しては普通のトレーニングの本ですよ。
最後にTPOに合わせた話し方とか、感情表現豊かな会話についてとかが書かれているのがいいなと思う。

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こんだけで日記が終わるとつまんないから女性のファッションについて書いておこうっと。

高校生の時にですね兄が「すげー本がツタヤにあった」っていって見せてくれたものがありまして
「DATA WATCH」ってゆー、えーとですね、いま本棚から引っ張り出してきたんですけど2003年のムックでして、どんな本かというとツタヤ会員の買い物の情報をまとめた、いまでいうビッグデータ的なマーケティングの本なんですよ。
Tポイントカードで買い物するとその人の買い物履歴が全部残ってて、ツタヤがそれを使って商売なさってるわけですけど、この本はシリーズものみたいですけど、その第1号のテーマが「女性ファッション誌 徹底分析、誰がこの雑誌を買っているのか?」というもので、MOREとかnon-noとかJJとかのファッション誌を買っている人がどんな年齢層で、どんなCDをレンタルしてて、どんな映画をレンタルしてて、どんな本や漫画を買っていて、さらにアンンケートで独身かとか好きなタレントが誰かとかが、まとめられているのです。

さらに「おおたうに」さんのイラストとズバズバ切った文章が添えられていて「この雑誌を買っている女性はこんな人」っていうペルソナといいますか、性格とかまで含めた女性像が雑誌ごとにできているのです。当たり前といえば当たり前ですが、雑誌によって女性像が全然ちがうわけですよ。音楽の趣味もちがってて安室奈美恵が多い雑誌と浜崎あゆみが多い雑誌は違うんですよ(2003年だからミュージシャンはそこらへん)。好みの男性タレントも違うわけですよ。
そんな本を2003年からずっと持ってんなよって感じですが、普段読んでるわけじゃないですよ?10数年ぶりに開きましたよ。

いや、これ読んでね、何を思ったのかっていうと、女性にとってファッションとは「どう見られたいか」であり、それは同時に「どう生きたいか」ということなんだなと、そんなことをぼんやり思ったのです。
(ちなみにこれは「私はどう見られるかなんて意識しないわ〜」という生き方まで含んでしまう)

男性もそうではあるんですが、そこまで意識してない人が大半ですよね。学生時代はなおさら。意識してるレベルも全然違うと思う。

だから生き方が似ている人ってファッションとか外見も似ますよね。美大生の女の子は他の大学に比べてショートカット率が高いと思うし。そして美大の男子はショートカットが好きらしい。(たしか谷口菜津子さんが漫画で描いてた気がする)
本当かどうか知らないですが、僕はショートカットの女性が好きです。あ、僕が美大生かどうかは知らん。武蔵美に2年だけ行ったけども。

はい、今日の結論。泰人はショートカットが好きです。

コミュ力を人に向けるか物に向けるか。

ボイトレ4回目
息を大きく吐いたり小さく吐いたり、長く吐いたり、短く吐いたり。
やりながら、まるで波紋の修行のようだなーって思ってます。

「1秒間に10回の呼吸ができるようになれ!!」
「つぎは10分間息をすいつづけて 10分間はきつづけろッ」

ジョジョのね。あ、チェペリさんが言ってた波紋って呼吸と血液のエネルギーで若さを保つっていう発想は本当だと思う。腹式呼吸と血流の良さで健康になると思う、というかいろんな本でそんなこと言ってる。

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カンブリア宮殿って番組を見てます。(録画して見てるから結構前の放送なんだろうけど)工場直販の通販サイトを作っているファクトリエという会社が出てまして、その山田 敏夫社長がおっしゃってた言葉で
「コミュニケーションが苦手な人はものづくりに向いている」
というのがあったんですね。これは会話の流れからいうとですね、アパレル系の就活をしている学生たちにむけて服飾の工場の人達を集めてアパレル工場専門の合同企業説明会をしたあとの話なので、たぶん就活では「コミュニケーション能力が大事」って散々言われてて、それを聞いて(自分は向いてないのかなー)って思っている学生たちに対して「君たちにむいている仕事はあるよ」っていう意味で言ったと思うんです。山田社長めっちゃ優しい。

その言葉は素直に理解したんですが、ふとそれって「物に対してのコミュニケーション能力が高い」って言えないかなって思ったんです。
んー、こういう場合は「物と対話する」って言い方がかっこいいかな。対話っていう日本語いいよね。

パンとかうどんとかの店でよく言うじゃないですか「その日の気温や室温で粉のまぜかたを変える」って。重さやねばりけなどを指先から感じて、対応をしていくわけですよね。

それ以外にも道具の使い方ってのも道具と素材との対話だと思うんですよ。カッターナイフやはさみを使ってても思いますけど、「ここで力をいれたほうがいい」「この時にこっち向きにちょっと傾けるとうまくいく」みたいなこと。僕は手先が器用な方ではないですが、こういうことは考えたりします。観察と分析で、いうならば脳の力で、手先の器用さは上達すると信じてる。

アパレル系だったら布や糸の特性とか裁ちばさみの感触とかを意識して、作業を進めていくと思うんだけど、そういう手作業って「集中力」とかって言葉で能力を評価されると思うけど「物とのコミュニケーション能力」って言えると思う。

人の表情をみて、相手の感情や場の雰囲気を察して、的確な言葉を発するだけじゃなくて
物を観察して、物の状況を見て、それに適したアクションをこちらから投げかける。
これもコミュニケーション。布やハサミに限らず、動物でも植物でも土でも石でもなんでも。

人に対してのコミュニケーション力が低い人は
物に対してのコミュニケーション力が高いかもしれない。

あ、どの分野でもコミュニケーション力が必要っていう結論かな、これは。

んー、コミュコミュ言われすぎててコミュ力って言葉好きじゃないんですけどねー。

【 コミュ力を人に向けるか物に向けるか 】

ブロックを積み上げてその上に立つ

ボイトレの3回目に行ってきました。

表情筋のトレーニングとかしてベロを動かしてたら気分が悪くなるくらい疲れた。運動とか筋トレとかやりすぎると疲れを通り越して体の内側(たぶん筋肉)の気分が悪くなるよね。ぐわーって気持ち悪い塊がぐるぐる体の中にたまる感じ。ならないかな。
舌根と言ってベロの付け根が鍛えられたらしいです。滑舌がよくなるらしいです。

あと息を大きく吐いたり小さく吐いたりってのをやったんだけど、前回は全然強弱をつけれなかったのに今回はうまくできた。前は大きくと小さくの差が4〜7くらいしかなかったのが今回は2〜9くらいまで広がった感じ。たぶんもっと小さいのと大きいのがあると思うけど、とりあえず範囲が広がった。これはどこかの筋肉が鍛えられたとかではなくて「自分がどこまでできるかを自覚した」からだと思う。

自分の体がどこまで動くのかって自覚がないと動かすことってできないんだよね。脳で自覚して、脳からの命令でその範囲内で活動をしていると思うんですよ。だから「ここまでできる」っていう範囲の認識を少しずつ広くしていくことで自分の体の動かし方を上手にできるようになると思う。

これって、作品作りにも同じことが言えるんじゃなかろうか。

僕はいままでたくさんの映像を作ってきたんですよ。あ、100個超えたんですよ。
学生時代から映像作品に通し番号を降っていて、パソコンのフォルダを管理するためなんですけど、いまやっている仕事が75番なんですね。1個の仕事で10個とか20個とかコマ撮りを作る仕事もあるし、仕事じゃない映像とかはこのカウントに入ってないのもあるから番号以上にも作ってて、なので合計は100個を超えてるんですよ。われながらすごいなぁ。生涯で何作品作れるんだろうか。1000個とかいけるんだろうか。

いや、それでですね、1個作るごとに「自分がどこまで作れるか」というのが自覚できるんですよ。
何コマとれたとか、どれだけ美術作ったとか、どれだけ細かい動きができた、はげしい動きができた、カメラアングルをがんばれた、色を意識できた、スタッフへの指示がうまくいった、スケジュールがちょっと見通せた、などなど出来たことが色々とあって、同時にできなかったことも色々あって、それらを全部踏まえて次のコマ撮りを作るときに「前回はあそこまでがんばれたから、今回はこれくらいできるだろう、これくらいがんばろう」とか思えるわけですよ。ちょっとずつ出来ることを拡張するんですよ。

例えるならジョギングをはじめた人が「今日は1km走ろう」からスタートして「次は2km走ろう」と増やしていって何日もやっていたら10km走れるようになったみたいな。
これは実は最初から10km走れる体力があったかもしれないんですが、走った経験がないといきなり10kmはできないんですよね。体力や筋力があってもペース配分を間違えてバテることだってあるし。
「自分はここまで走れるはず」という認識・覚悟があることで、そこからプラスアルファの努力ができるというか。

センスがあって何も知識ない状態からいきなりぶっ飛んだ作品をつくる天才たちもいますが。

何が言いたいかというと「とにかくたくさん作品を作ろうか」ということです。
作った数しか成長できません。
「質より量」ってミシェル=ゴンドリー監督も言ってましたし。

【 その上にまたブロックを積み上げて、またその上に立つ 】