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ハウツー本はどうでもよい時に役に立つ

『荒木飛呂彦の漫画術』という本をお勧めしたい。

ジョジョの荒木先生が書いた本ですが、どういう考えで漫画を作っているかが事細かに書いてあります。めちゃくちゃ良かったです。キャラクター作りとストーリー作りについてもしっかり描かれているので映画とか小説とかを作る人にもオススメ。そういうの以外でも自分で何かを作ろうと思っている人は読んだらいい。プロはそこまで考えて作っているのか!!と度肝を抜かれます。荒木先生の意識の高さにビビると思う。

この本のいいところをあげようと思ったらすべてのページを引用しかねないので、やめときます。読んで。ジョジョを読んでなくったって読んで。

で、学生さんたちに向けてアドバイスをしたい。
こういうハウツー本を見るのを敬遠する人いませんか。「影響を受けすぎるのが怖いから」と言って。たしかに、こういう本のやり方を読んでそれに縛られてしまうことってあります。絶対にこうやらなきゃいけないんだ!って思い込んでしまう。それは良くないなーって個人的には思います。映像制作だとストーリーを決めるのにもテーマとか考えさせられたり、撮影の前にコンテを書くのが絶対みたいに言われるけど、コンテとかなくっても作れるしね。一人で作る時はむしろコンテを作るのに時間かけても意味ないこともありますし。

本当のところを言えばものの作り方というのは人それぞれなんですよ。各作家が自分にあった作り方を見つけるのが一番いいんです。なぜいいかと言えばそれは自分自身にストレスを与えないことで、長い期間ものづくりが続けれるからです。そういった意味で効率がよいんです。

それで、自分にはどんな作り方が向いているのか、これを言語化することは大変難しいですが、体感としてはみんなあるはずなんです。そういうのをなんとなくでもいいので自分で見つける前につくり方の本を読むと、それに縛られてしまうことがあります。それは危険な気がする。だから僕としてはオススメなのは2〜3作品くらい作ってから読むこと。そうすると、本の内容に対しての良し悪しを判断できます。「あ、このやり方のほうがいいじゃん、自分がやってたのってなんてバカだったんだろう」と思ってそのやり方を採用することは当然あるでしょう。それは失敗を経験しているからその本のやり方の価値が分かるようになったわけで、大きなプラスだと思います。逆に「この本ではこういってるけど、これは自分にはあわないな」と思って拒否するのも全然いいです。効率の良さ以外に自分の感覚にあっているかどうかはとても大事な判断基準です。そしてそういう肌感覚みたいなものは一度は自分で作っているからこそできる判断なのです。

なのでまだ1つも作ったことがない人には、本を読む前に、非効率的でもいいしメチャクチャでもいいので1つは作ってからハウツー本を読んでほしいと思っています。
始める前に読んでしまって、考え方をがんじがらめにしてしまった人が知り合いにいたのです。最終的にその人は「つくり方のルールに縛られなくってもいいじゃん」って気付けたんですが。

さて、続き。いくつか作品を作ってきた上で「本の影響を受けるのが怖い」と思っている人へ。
読んでも大丈夫ですということを言いたい。がんじがらめになってしまうパターンでなければ、こういう本に書いていあるテクニックというのは(変な言い方になりますが)どうでもよい時に役に立ちます。
これは芸術家・作家などの場合ですが、その人がどうしても作りたい作品があったとき、描きたいストーリーとかイラストとかがあったとき、ハウツー本に書いてあることは全然意識されません。「だって私はこれを描きたいんだもん!」と言って作りましょう。
そうでなくて、たとえばイラストを例にすると「メインのキャラの色はできたけど、こっちのキャラの色どうしようかなー」ってなったときに補色の関係のことを思い出して「あ、じゃあメインキャラと逆の色にしたら目立つかな」って感じ決めれたりします。自分の情熱で決めれないときに、知識でものごとを決定できるのです。
あと決定をしたものに不安がちょっとあったときに「この色は暖色系のいろだからここにはあってるんだよね」とか根拠を補強できます。

自分の決定に情熱があるときは「これは理屈で言ったらダメだけど、あえてこっちをしたいんだ!」と思ってる時は知識はどっかに捨てたらいいんです。作った後にそれが良かったかダメだったかがわかるでしょう。

これは芸術作品みたいなときの話ですけどね。
デザイナーとか仕事の話になってくると、他人にどう伝わるかが大事になってくるからハウツー本に書かれた知識はより大事になると思います。それでも個人の感覚を信じて作ったらいいと思っていますが。

というわけで、本とかはちょっと作ってから読んだらいいと思ってます。

不思議な事など何もないのだよ、関口君

僕が1番好きな小説家は京極夏彦なんですが、それについて書こうっと。

この人の最初の「百鬼夜行」シリーズと呼ばれる京極堂が主人公のシリーズがありまして、それは殺人事件が妖怪にからめて描写されるんですが、最終的に「これは妖怪の仕業ではないです。こうこうこういう事情で殺人事件が起きたんです」って京極堂が解説してみんなが納得する話なのね。
そのあとに出てきたシリーズ『巷説百物語』(こうせつひゃくものがたり)は時代設定が江戸時代末期でして、そこで起きる事件は、殿様が殺人をしてるから誰も止められない、とかそんなまともには解決できないものたちなので主人公たちが必殺仕事人みたいに色々と仕掛けたあげくに「これは妖怪の仕業でした」ってみんなに解説して納得させてしまうという話。前のシリーズと真逆の解決方法なんですよ!びっくりですよ。

更にやばいのがこの巷説百物語のシリーズが進んで『後巷説百物語』(のちのこうせつひゃくものがたり)になると時代が明治になるんですよ。そうなると明治維新の後の人々は「文明開化だぜよ、科学だぜよ、妖怪なんて迷信だぜよ」ってなってきて、人々は怪事件をどう納得するのか!?っていう話でして、ここから先は読んでください。

ほんと京極先生はすごいわー。自分がいままで書いてきた小説をひっくり返してるもの。あと、京極先生が日本語の扱いが一番うまいと思っていまして、そこらへんもちょっと書いておこう。
この方、もともとデザイナーでして執筆にはインデザインを使っているそうで、文章がページをまたぐことが絶対にないんですよ。だから読んでいて止まることがないんですよ。
あと、うまいなーってよく思うのが複数の人が会話しているときにセリフが何個も続いても誰の台詞かわからなくなることがないんです。これすごいですよね。2人のやりとりでさえ、どっちのセリフ?ってなることあるのに。これはキャラクターをちゃんと作っていて話すときの僕・私・俺・わい、とか二人称のおまえ・てめぇ・君・名前をさん付けで呼ぶ・名前を呼び捨てで呼ぶ、みたいのを使い分けているから。だから京極に出てくるキャラクターはどちらかというと漫画やアニメのキャラクターみたいな印象になるんですけど。でもね、読みやすいんですよ。この人の本はどれもめっちゃ分厚くって「レンガ本」とかって言われてて、ニコ生とかで一般の人の部屋が写り込んでる画像があっても本棚に京極の本があると一発でわかるくらい分厚いんです(笑)。それくらい量があっても読みやすいから思ってたより全然早く読み終わります。読んでてつまるところが一箇所もない。さらさら読めます。
あと地の文が三人称だったり一人称の語り口調だったりを使い分けるのがすごい。巷説百物語が特にその使い分けをしているんですが、後(のち)になってその手法がストーリーにがっつり重なったときに鳥肌がたちました。ここまで文体を使いこなすのか!ってビビりました。

ちなみに次に好きな小説家は森博嗣でして、中学と高校にこの二人のミステリーをずっと読んでました。だから自分はミステリーが好きなんだと思って、その後にエラリー・クイーンとかいくつか読んだんだけど、全然はまらなかった。トリックの推理とか全然できなかったし。
というか本当に殺人事件がおきてトリックをあばいて終わるってまるでながいクイズをやっているだけに見えて。
そこで気づいてけど、僕は京極夏彦と森博嗣の思想が好きだっただけで、ミステリーが好きだったわけではないんですね。というか森博嗣の方もそのうちにミステリーどうでもよくなってくるもんね。犯人どうでもよくない?とかトリックはそのうち警察が調べるでしょ?みたいな会話が出てくるの笑った。

そうそうどちらもSFを書いていて、京極夏彦は『ルー・ガルー』森博嗣は『女王の100年密室』。どっちもすごく好き。SFのアイデアがものすごいし、そこで描かれる思想というか人間の考えの変わりようがいい。

あ、『女王の100年密室』にでてくる二人の人物について。BGとマイカジュクって男性がいるけど、あれってビルゲイツとマイケルジャクソンなんじゃないかな。マイカジュクは声が高いっていう描写があるし。ものすごい金持ちになった二人が楽園を作ろうとしたんじゃないだろうか。まあ、森先生のことだから、ちょこっとからめただけだと思うけど。

ほい、今日はこんなところ。

No.1キャバ嬢になりたい。

コーチングの話だけどさ、誰かに話を聞いてもらうってすっごい楽しいですよ。

キャバクラとかホストクラブも、そうなのかな?行ったことないけど、話を聞いてくれるんでしょ?楽しいと思う。キャバクラは行ったことがないから1度行ってみたいと思っているけど、行ったことのある友人(男性)から「泰人はたぶん高級なキャバクラじゃないと満足しないと思う。女の子の話すレベルが違うから」って言われて(そうかもしれん)と思ったけど高級なキャバクラというのがいったいいくらお金を持っていたらいけるのかわからんから怖い。

あとホステス(?あってるかな、キャバ嬢じゃない感じの方)をやってたという友人(女性)から「泰人がお店にきたら絶対に落とせる。真面目な人ほど簡単にはまる」って言われて、やっぱ行くの怖いなーって思ってる。

いやいや、キャバクラの話がしたいんじゃないよ。

ふだんね、みなさんも友達とか職場で会話をしてると思うんですけど、「話を聞くだけ」をしている人っていないんですよ。わかりやすい例だと僕の父親が全然人の話を聞いてないんですけど、どんな話題をしてても自分の意見を言いだして食べ物だろうが文化だろうが最終的には日本とアジアの歴史のすごさを語りだすんですよ。もう、家族は諦めてるんですけど(笑)うーん、最近は落ち着いてきたかな。

話を聞いているときに相槌をうつと思うけど、たいてい相槌に終わらないんですよね。
「うんうん」「ふーん」「そうかー」は相槌だけど
「分かるわかる」から徐々に自分の意見の度合いが増してきまして
「そのお店、私も行ったことある。いいよねー」とか
「僕の時はこうだった」とかなんか違う事例を持ち出してきて
「こうした方がよかったかもね」って意見を言い出す。

女性は会話に共感をして、男性は解決策を言いがち、っていう会話の仕方の差についてはよく言われるけど、そんなことで終わってないで、もっと聞くことの大切さを考えた方がいいと思う。

コーチングで自分が話しててわかったけど、話すときって最初はなんでもないことから始めるけど、しばらく話していると自分が本当に気にしていたこととかに本人が気づいて、より大事な話題(よりパーソナルな事というか)に移行していくんですよ。でも普通の会話だと話しはじめの段階で聞き手の頭の中に話したいことがでてきちゃって「俺の場合ね~」「そういえば、こんなこともあったわ~」って言い出すんですよ。みんな話したくてしょうがないというか、頭の中に出たことを言いたくて我慢できない、僕も含めてみんな。そして話題がどんどん変わっていってしまうと、実は本当に話したい事まで到達しなくて消化不良みたいな感じになる。

「聞くのが上手」っていうのは、もっとわかりやすく言うと「相手が話している間は、うなずく以外の行為を一切しない!最後まで何もしない!」ってことだよ。もう、ずっと黙っててほしいんだよ。この点で犬や猫が愛される理由がわかる。だって彼らは話を聞いてくれるもの。友人は話を最後まで聞かないもの。占い師やカウンセラーもそういう存在だとおもう。

まぁ、普段そこまでの会話をしたいってみんなが思ってるか知らないけどさ。もっと情報交換だけの会話とかただ楽しいだけの会話ってのが普通なんだろうけど。コーチングをうけてたら「他の人とはこういう会話の仕方って普通できないんだな」って思ってしまったのです。

そんな会話についてのことをコーチングを受けている1年間考えてたんですが、最近すすめられた本『愛と癒しのコミュニオン』というのに、そのことが書いてあった。これは僕のコーチの越智さんの先輩の方から勧められたのですがコーチたちがやっている傾聴についての本。まだ読みかけだから読了したらまた日記に書くけど、なんかもうまとめられている文章を読み始めたら、同じだけど自分がいままで未熟ながら考えていたことを記しておきたくなって、慌てながら今日の日記を書きました。

できれば無重力日記は完成した文章ではなく僕の考えの変遷の軌跡としてつづっていきたい。なんか完成する前の話の方が面白い。あ、本でもそうだ。ビジネス書とかで方法論をステップ形式で書かれたものより、その著者がその考えに至るまでの半生とか失敗の思い出話とかのエッセイの方が好き。

人は死ぬことで完成するっていう考えがあるけど、ならば未完成の方がよっぽど面白いじゃん、っていう気持ち。