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アイデア出しは判断をしない、放置する。

アイデア出しの話をします。
これまでいくつかコマ撮りを作ってきて他の人から「よくそんなアイデアが出ますね」と言われることがあります。
うん、だって、必死こいて頑張ってるからね。
アイデア出しは訓練です。僕はコマ撮りのことをずっと考えているのでコマ撮りのアイデアはよくでます。逆にいわゆるムービーのアイデアは全然でません。そっちのアイデアの引き出しが全然ないことにある日気付いて、そのときに仕事用の名刺に「コマドリスト」をつけようと決めました。それまで名刺には「映像作家」と書かれていました。

訓練といいましたが、そもそもアイデアを出すということは誰にもできることだと思います。ずっと前ですがトラックの運ちゃんと話をしたときのことです。初対面だったのでお互いの自己紹介をして、僕がコマ撮りを作ってるという話になって、「どうやってアイデアを出すんですか」となってからの会話

た「ちっちゃなアイデアから徐々に膨らませていきますね。
まずはピーマンとかがコマ撮りでスーっと動くのを想像して
『あ、タイヤをつけたら車みたいだな』って考えます」
相手がトラック運転手なので車の例にしてみました。

運「そしたら大根にタイヤをつけたらトラックみたいですね」
た「あー、いいですね!ニンジンだとレーシングカーみたいに見えるかも」
運「なるほどー、いろんな野菜で車を作ったら、レースもできますね」
た「レースいいですね!」

こんな会話をしました。
僕が最初にピーマンが車みたいにできるって話をしたらその運ちゃんは大根がトラックになるというアイデアを出して、最後は野菜たちのカーレースという素晴らしいアイデアを出しました。
いま考えても野菜のカーレースはいいコマ撮りになると思う。野菜ごとに走り方とか得意技とか違うというネタも膨らむ。誰か作ってくれてもよいですよ。

こうやって促せば誰だってアイデアは出るはず。じゃあ、なんで運ちゃんはそのアイデアを普段は出さないかって言ったら、運ちゃんはコマ撮りを作ろうって思ってないから。当然ですね。作ろうって思わない限りアイデアはでない。普段、人は自分の考えていることにブレーキをかけています。

バイアスとかフィルターと言ったりしてもいいけど、人は自分の考えをある一定の方向に決めようとしている。そしてその方向にそぐわないアイデアは思いついた瞬間に否定して、思いついたことすら忘れてしまう。

さて、ここで1つの実験をしたい。ワークショップといいますか。いまから連想ゲームをします。
お題を1つ出すので、そこから連想するものを10個書き出してみてください。ただし「途中で思いついてしまったお題とは関係ないこと」も全部合わせて10個出してください。お題は「赤いもの」です。

 * * * 連想中 * * *

 * * * 連想中 * * *

10個出たでしょうか。途中で赤くないものを想像して笑っちゃったりして中断してませんか?関係ないものでもいいので10個出してください。
ちなみに今僕がやってみた結果は、
イチゴ・リンゴ・かぼちゃ・たまねぎ・ロケット・カラス・きりん・消化器・ポップコーン・洗濯機

赤いもの以外がかなり入ってますね。
かぼちゃとたまねぎはリンゴから食べ物の連想で思いついてしまって、そこで違うものを考えなきゃってなんて金属質なものを想像したらロケットを考えて、そこからフォルムがかっこいいカラスを想像してしまって動物つながりでキリンまででて、そこで一回軌道修正しようとしたら目の前に消化器のマークがあったので消化器を答えた後に、なぜかポップコーンと洗濯機という言葉を思いついてしまった。ほぼほぼ赤とは関係ない連想ゲームになってるし、最後2つが脈絡もなくなっています。

ここで普通の連想ゲームであれば(あ、かぼちゃは赤くないや。ロケットは赤とはかぎらないな)とか判断して「イチゴ・リンゴ・消化器」としか答えないですよね。
でもコマ撮りとかのアイデアであれば「赤いロケットはかっこいいな」と言って採用すればいいし、
「赤いカラス」もかっこいい。というか「赤いカラス」って最近のバンドの名前にありそう。何かのタイトルでもいいね。と思っていま検索したらなんか曲のタイトルでありますね。やっぱりあるか。赤いキリンというのもあるのか。ゆずだ。ま、曲じゃなくても映像作品のキャラとして赤いカラスもキリンもかっこいい。みたいにお題に対してまちがったアイデアも採用できるわけです。
むしろ自分で考えようとしなかったアイデアが出たりすることもあります。

お題に対してランダムに思いついた物の中からどれを採用するかは人それぞれだと思います。お笑い芸人だったら笑いのとれる答えを言うでしょう。芸人からしたら逆にイチゴやリンゴは普通すぎて思いついても言わないかも。小学生男子だったらとりあえず「うんこ!」っていうかも。かわいらしいアイドルをめざしている人は「イチゴ」しか言わないかもしれない。

どれを採用するかの判断をフィルターを通す作業だとしたら、アイデア出しのときは「正しいことを言う」というフィルターを一旦はずず。これがアイデア出しの最初の1歩だと思います。
当然、面白くないアイデアもどんどん出ますが、それが面白いかどうかの判断はもう少しあとにするべきでしょう。だって自分では普通に思えるアイデアも他の人からしたら素晴らしいかもしれないですし。

人が頭で考えていることって理性的なものだと思われてますが、このランダムな連想ゲームをしてみると、全然制御がきいてない暴走状態だなってのが実感できます。思いつきたいことと全然ちがうことを発想してしまう。むしろ考えたくないことも勝手に考えてしまう。普段はその暴れ馬の手綱をちゃんと持ってないといけないですが、アイデア出しの時とかは手綱をゆるめるのも大事かなって思ってます。

それでどうするかっていうと、出てきたアイデアは一旦全部OKにしてメモって、次のアイデアがでてくるのをまた待つ。1つ出てきたものから連想して次のアイデアがでたとき、最初のお題と違うものでもOKにしてメモする。それを繰り返しているうちに「これだ!」っていうアイデアが出てくるものです。

とかそんなことを考えていたらですね、瞑想の本に「頭に思いついたことを1つ1つ判断せず、横に置いておく」って書いてあったり、昨日の日記に書きましたが、目の前のことに善悪の判断をしないで観察をつづける、みたいなことが出てきて、違うことだけど共通の要素があるなって思ったのです。
世の中違う分野で同じ真理を得ることがあると思うのですが、そんな感覚になったのです。

というわけで、まとめ。
判断をしない。放置する。
です。

私はモモになりたい。

本を1つ読んだので書きます。
『愛と癒しのコミュニオン』
鈴木 秀子 著

Amazon『愛と癒しのコミュニオン』

この本はコーチングの越智さんの先輩の方から薦められた本でして、コーチングの人たちが何をしているのかが書いてあると。コーチたちはかなり色んな手法を使ってコーチングをしていると思うんですが、その中の傾聴について書いてあるといわれて読みました。

かなり派手な言い方になりますが、この本には人が確実に幸せになる方法が書いてあります。もし全人類がこの本にあることを実行できたらこの世界は数倍優しく平和なものになるはず。こんな書き方すると宗教にはまっちゃった人みたいだなって自分で思うけど(笑)
ですが、この本の前半に書かれたものは宗教や精神論というよりはスキルやノウハウとして実行可能な方法が書いてあって、それが結果として人の心に平穏をもたらせるものだと思います。
後半は魂のつながりであるコミュニオンについて書かれていて、ここはかなり宗教的。魂や愛や祈りについて直感的に理解できない人にはなじまないかも。なじまなくてもやがて理解できるようになるとは思うけど。

それよりも前半にでてくる「アクティブリスニング」と「天使の観察」については宗教とかではなくスキルだと思う。禅と同じ。考え方の話であって、すべての人がトレーニングで身に付けれるものです。できればこの本を買って読んで欲しいので全部は書きませんが、この「アクティブリスニング」と「天使の観察」は僕自身がこれまでなんとなくやってきたことだし、コマ撮りのアイデア出しのときにもやっていることだと気付いたので軽く紹介しておきたいのです。

アクティブリスニングとは人の話をどうやって聞くかというやり方なんですが、ミヒャエル=エンデの『モモ』という本はご存知でしょうか。灰色の男たちが人々の時間や心の余裕みたいなものを奪ってしまい、主人公のモモがそれを取り返そうと冒険するファンタジー児童文学。読んだことない人は読んだらいい。

その中で本筋とは別で、モモが持っている特別な能力というのがでてきます。それが「人の話を聞くこと」というもの。悩みを抱えている人がモモの前にやってくるとその人自身が自分からどんどんと話をしてしまい最後は自分で解決策を見つけれるようになるというもの。モモはアドバイスをするでもなく、その人の話をただじっと聞いているだけ、というエピソード。

『愛と癒しのコミュニオン』にも『モモ』のこの部分について書かれています。

僕はモモを読んだことがあったので、この話がすっと理解できました。
アクティブリスニングとは人の話を聞き続けることで、最終的に話し手が自分で問題の原因に気づき解決策を自分で見つけれるようになる手法です。

じゃあ、具体的にアクティブリスニングは何をしているかというと、一切の意見を言わずに「うんうん」という相槌だけをするものです。「それは良いね」とか「それは良くない」「こうしてみたら?」みたいな意見は一切言わない。相槌か「そう思っているんですね」という確認くらい。見た目としてはそれしかしていない。でも人はそんなことは簡単にはできない。話を聞いているときは、相手の話について色々と考えるし話の内容に喜んだり不快に思ったりしてしまいます。アクティブリスニングの聞き手はそのとき何をするかというと、相手の話に対して自分の心が色々と反応しているのをひたすら見続けます。この著者の鈴木秀子さんは(よくは知りませんが)キリスト系シスターらしいので天使という言葉を使って「天使の観察」という言い方をします。つまり自分の斜め後ろくらいに天使がいて、その天使になったつもりで自分を見つめ続けるということ。自分がいま楽しそうか、相手の話に不快感を抱いているかなどなど、ひたすら天使の視点で自分をみます。天使という言い方をしているけど、これはつまり自分の客観視。

共通しているのはアクティブリスニングも天使の観察も目の前に起きていることに対して良い悪いの判断をしないこと。アクティブリスニングだったら話し手の内容に対して善悪の判断をせず、ただ話すのを促すだけ。天使の観察なら聞き手である自分の状態に良い悪いの判断をせず、客観視の結果を心で報告するだけ。判断をしないし、結論を出そうとしない。

これは禅の瞑想と同じことだと思いました。本書でも仏教や瞑想についてふれています。僕は瞑想の本も読んだりして簡単なものを何度かやったことがあるんですが、瞑想している時はいろいろな考えごとが浮き上がってくるのですが、それをすべて横に置いておくということをします。良い悪いの判断をしない。

アクティブリスングなら話し手が自分で話をつづけていき、結論を出そうとしないので話題はうろうろしていくのですが、その結果、出てきたエピソードには共通のテーマや問題点があるのがわかり、自分が本当に気になっていたことや自分の考え方を決定付けた思い出に気づいたりするのです。原因に気づき、それとほぼ同時に、そこで自分がどうしたらいいかに気づきます。これはコーチングをうけた僕の実体験としてあります。問題の原因と解決方法は話し手自身が発見するんです。

「天使の観察」の方は話を聞く時以外も日常生活の中でもひたすらしていきます。すると、自分がどういう時に何を感じるか、どういう時に自分がどう振る舞うかを観察できます。そしてそれは自分の行動の1つひとつがどういう自分の気持ちから発生したものかが分かるようになり、自分が何を考えているかが分かるようになります。自分の考えと行動の因果関係がわかると、究極的には「他人によく思われようとする行動、見栄を張る行動、愛されようする行動」をやめて自然体で生きていけるようになります。そして終いには、他人に愛されようとしないが故に自然に振る舞えるようになり結果として他人に愛されるようになる。この結論がなかなかやばいと思いました。素を出す人は愛されるというのはわかっていましたが、その素を出せるようにするテクニックが天使の観察にある。他にも方法はあるかもしれないけど、僕は今のところこれがもっとも具体的な手法だと思いました。

最終的にこの本では「自分で自分を愛せるようになり、他人を愛せるようになる」方法が書いてあります。キリスト教の引用も多いし魂という言葉もでてくるけど、僕としては理解して納得できるものでした。誰にでもってわけにはいかないけど、オススメしたい。当たり前ですがここで書いたこと以上にたくさんのエピソードやノウハウが載っています。

特に天使の観察はみんなができるようになったらとてもいいと思う。平穏とか落ち着きを手に入れられます。逆に、アクティブリスニングは大事だけど天使より優先度は低くていいのかな。話し手が「自分の話を聞いて欲しい」って思ってる時じゃないと意味がないし。数日前の日記「No.1キャバ嬢になりたい」で書いた後に気づいたことだけど、普段の会話って情報交換とか相手から意見をもらいたくてしていることの方が多いよね。意見を求めているのにアクティブリスニングされたら話し手はイライラするわ(笑)

ん、こんなところかな。アイデア出しにつながる話はまた今度書きます。

Macbookに便利シールを貼る。

ここ10日くらい日記を連投してますね。
先日あった友人から「泰人さん、どうしたんですか?」って聞かれて
今日あった友人からは「泰人さん、病んでるんですか?」って聞かれた(笑)

まあ、病んでますよねー(笑)

ver.2になって、テキストのみで日記が作れるので楽チンなんですよ。ver.1は文字の書体や色や背景なども含めて作るから作品にちかい意識がありました。だからくだらないことを書くときもある種のクオリティの高さを自分で求めていたし。

そして更新の頻度が下がると、書きたいことが溜まって文章が腐ることがあるんですよ。
日記に書く題材を携帯にメモったりしますが、そこから下書きを進めて8割とか9割くらいまで文章を作ったのに、数日放置してから見直すと全部がつまんないものに見えたりするんです。そしてそのデータを捨てちゃうんですよ。熟成されるならいいんだけど、腐ってしまう。
日記に限んないかな。作品のアイデアとかも腐ることがるからある程度はコンスタントに出したほうがよいときもあると思います。
ウンコといっしょ。定期的に出さないと、便秘になったり下痢になったり。

それで、最近書いてる考え方の話とかもの作りの話とかは、もうずっと考えてきた話なので、一度全部を書いておきたいのです。これは僕のデトックスです。読者のためでもあるけれど、むしろ僕のためですね。そしてこのデトックスがあるていど終わったら、サイトの形をまた変えるんじゃないかな。
もっとポエムしかないサイトとかgifアニメしかのせないサイトとか作ってみたいし。やりたいと思ってることを全部やれるとは限らないけど、何かを終わらせないと次のことがはじまらないという理屈もあるので、とりあえずver.2でいま言いたいことを全部吐き出しておこうみたいな意識なのです。

こんごも変化をするので、無理に止めることはせず、次の変化を予感しつつ、いま揺れ動いております。

嘘。ここんところ暇だから日記書いてるだけです(笑)

 * * * * * * * * *

こんだけの日記もつまらないので、僕的ライフハックを。
Macを使ってるんですが、こんな感じにシールを貼ってます。

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撮影現場とか打ち合わせだといろんな人がパソコンを持ってくるんですが、広告業界ってMac率が高いんですよ。机にMacbookが5〜6台並ぶこともよくあるのです。みんな同じデザイン。だから自分の毒牛乳マークのシールを貼って見分けれるようにしてます。そして注目してほしいのは右下のシール。

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こちら、電源ケーブルをさす角にバッテリーマークのシールを貼ってるんです。Macbookって閉じると上下左右がわからなくなってパッと見で電源ケーブルをどこにさすのか迷うんですよ。リンゴマークを見ても分からない。おしゃれすぎて分からない。その電源ケーブルの位置に迷う数秒をなくすために貼ったシール。これも自作。白いシールをカッターナイフで切って作りました。

みなさまの生活をより良くしていく無重力日記、今日のネタはいかがでしたでしょうか。それではまたいつか〜。