不思議な事など何もないのだよ、関口君

僕が1番好きな小説家は京極夏彦なんですが、それについて書こうっと。

この人の最初の「百鬼夜行」シリーズと呼ばれる京極堂が主人公のシリーズがありまして、それは殺人事件が妖怪にからめて描写されるんですが、最終的に「これは妖怪の仕業ではないです。こうこうこういう事情で殺人事件が起きたんです」って京極堂が解説してみんなが納得する話なのね。
そのあとに出てきたシリーズ『巷説百物語』(こうせつひゃくものがたり)は時代設定が江戸時代末期でして、そこで起きる事件は、殿様が殺人をしてるから誰も止められない、とかそんなまともには解決できないものたちなので主人公たちが必殺仕事人みたいに色々と仕掛けたあげくに「これは妖怪の仕業でした」ってみんなに解説して納得させてしまうという話。前のシリーズと真逆の解決方法なんですよ!びっくりですよ。

更にやばいのがこの巷説百物語のシリーズが進んで『後巷説百物語』(のちのこうせつひゃくものがたり)になると時代が明治になるんですよ。そうなると明治維新の後の人々は「文明開化だぜよ、科学だぜよ、妖怪なんて迷信だぜよ」ってなってきて、人々は怪事件をどう納得するのか!?っていう話でして、ここから先は読んでください。

ほんと京極先生はすごいわー。自分がいままで書いてきた小説をひっくり返してるもの。あと、京極先生が日本語の扱いが一番うまいと思っていまして、そこらへんもちょっと書いておこう。
この方、もともとデザイナーでして執筆にはインデザインを使っているそうで、文章がページをまたぐことが絶対にないんですよ。だから読んでいて止まることがないんですよ。
あと、うまいなーってよく思うのが複数の人が会話しているときにセリフが何個も続いても誰の台詞かわからなくなることがないんです。これすごいですよね。2人のやりとりでさえ、どっちのセリフ?ってなることあるのに。これはキャラクターをちゃんと作っていて話すときの僕・私・俺・わい、とか二人称のおまえ・てめぇ・君・名前をさん付けで呼ぶ・名前を呼び捨てで呼ぶ、みたいのを使い分けているから。だから京極に出てくるキャラクターはどちらかというと漫画やアニメのキャラクターみたいな印象になるんですけど。でもね、読みやすいんですよ。この人の本はどれもめっちゃ分厚くって「レンガ本」とかって言われてて、ニコ生とかで一般の人の部屋が写り込んでる画像があっても本棚に京極の本があると一発でわかるくらい分厚いんです(笑)。それくらい量があっても読みやすいから思ってたより全然早く読み終わります。読んでてつまるところが一箇所もない。さらさら読めます。
あと地の文が三人称だったり一人称の語り口調だったりを使い分けるのがすごい。巷説百物語が特にその使い分けをしているんですが、後(のち)になってその手法がストーリーにがっつり重なったときに鳥肌がたちました。ここまで文体を使いこなすのか!ってビビりました。

ちなみに次に好きな小説家は森博嗣でして、中学と高校にこの二人のミステリーをずっと読んでました。だから自分はミステリーが好きなんだと思って、その後にエラリー・クイーンとかいくつか読んだんだけど、全然はまらなかった。トリックの推理とか全然できなかったし。
というか本当に殺人事件がおきてトリックをあばいて終わるってまるでながいクイズをやっているだけに見えて。
そこで気づいてけど、僕は京極夏彦と森博嗣の思想が好きだっただけで、ミステリーが好きだったわけではないんですね。というか森博嗣の方もそのうちにミステリーどうでもよくなってくるもんね。犯人どうでもよくない?とかトリックはそのうち警察が調べるでしょ?みたいな会話が出てくるの笑った。

そうそうどちらもSFを書いていて、京極夏彦は『ルー・ガルー』森博嗣は『女王の100年密室』。どっちもすごく好き。SFのアイデアがものすごいし、そこで描かれる思想というか人間の考えの変わりようがいい。

あ、『女王の100年密室』にでてくる二人の人物について。BGとマイカジュクって男性がいるけど、あれってビルゲイツとマイケルジャクソンなんじゃないかな。マイカジュクは声が高いっていう描写があるし。ものすごい金持ちになった二人が楽園を作ろうとしたんじゃないだろうか。まあ、森先生のことだから、ちょこっとからめただけだと思うけど。

ほい、今日はこんなところ。