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大阪でおしゃべりします。

ちょっと大阪でトークするのでその告知です。

【イベント】
ISCA展示会

INTERNATIONAL
STUDENTS
CREATIVE
AWARD

https://kc-i.jp/activity/award/isca/2016/

【日時】
2016年11月10日 13:00-14:00
(イベント自体は9日と10日あります。泰人が登壇するのは10日)

【場所】
大阪
グランフロント大阪 北館 ナレッジキャピタル イベントラボ

イベント会場へのすごい的確なアクセス方法はこちら
http://www.kc-space.jp/accessmap/eventlab/

その他のイベントの内容はこちらのpdfをごらんください。
https://dokugyunyu.boo.jp/sonota/161110_ISCA_info.pdf

入場料は無料です。

【内容】
ISCAという学生の映像作品やメディアアート的なもののコンペの授賞作品の展示会です。ISCAの前身がBACA-JAというコンペでして、いまから9年くらい前にそのコンペで僕の『オオカミとブタ』が最優秀賞を授賞したことがありました。そのご縁で、コンペのOBとしてトークします。

ポリゴンピクチュアズの塩田社長をホストに僕と寿司くんがしゃべります。

寿司くんは『寿司くん』を作った人だよ!

あと岡崎体育の『MUSIC VIDEO』を作った人!

天才かよ!

寿司くんのTwitter
https://twitter.com/koyammer

学生から近い立場のプロとして色々と話すと思います。あ、新しく作った名刺を配りたいから、誰か会いに来てください。よろしくおねがいします。

いい作品を作っている人ほどいい人

前回の利他的について関連した話を思い出したのでまずそれを。

詳しくは知らないのですが友人から聞いた話。

CGの仕事をしている人がハリウッドにいってきて爆発のCGを勉強して日本に帰ってきたそうです。その人が勉強してきたやり方は日本ではまだ知られていなかったので、その技術を独占して仕事をするだろうとまわりは思ったのですが、なんとその人は爆発エフェクトの講習会を開いたそうです。自分だけが持っている技術をみんなに教えてしまったのです。だからその人の仕事は増えないだろうと思ったら逆に爆発エフェクトの仕事がたくさん来るようになったそうです。なぜならその講習会をうけた人たちが「爆発ならあの人だよ」と仕事を回してくれたから。講習会を開くことでその人は爆発エフェクトの第一人者になってしまったのです。その結果、仕事が増えた。

もちろん海外にいって勉強してきたことが大事なわけですが、これも利他的な行動が結果的に自分を助けた例でしょう。かつ、講習会を開くことが自分の営業になっていたわけです。もし自分の技術を誰にも教えなかったら、自分の存在をどこまで広くアピールできるでしょうか。講習会を受けた受講者たちは後に「この人から教えてもらった」と同業者に言うことでしょう。しかも「講習会を開いたいい人」として伝わっていくでしょう。これが他人を営業マンにするやり方であり、利他的な生存戦略の一例だと思うのです。

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 い い 人 の 続 き

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今日は「いい人」について前回とは違う視点で話します。

芸工大と武蔵美を出て、それぞれで卒業制作展を見てきて、そのあとフリーランスになってコマ撮りやイラストアニメの作家たちと友達になって分かってきたことがあります。それは

「いい作品を作っている人ほどいい人」だということ。まちがいないです。

卒業制作でいい作品を作った人は、卒業後は作家になるなり、自分が目指した方面の会社に就職してます。

それに対してたまに(ちょくちょく?)いるのが「お前の4年間はただの思い出づくりなのか?」と言いたくなるような微妙な卒業制作。そういうのを作った人はどういう人かというと、簡単に言って不真面目で、卒業後は自分が勉強してきたこととは全く関係ない会社とかに就職します。

芸術もスポーツと同じと思ったらわかりやすいですよ。プレイがうまい人は練習をちゃんとしてる人です。練習をちゃんとしている人は真面目な人です。真面目な人はプレイがうまいです。(才能についてはよく知りません)

他に類を見ないセンスの作品をみて「ぶっ飛んでるなー、作者は天才だなー」って思って、その後に作者に会ってしゃべってみると、どの人もむちゃくちゃ色んなことを考えていることを知ります。「なんとなく作ったらヒットしたんですよー」という人はいない。そんな漫画にでてくるような天才はいない。ユニークな作品を作る人でも「いまの世の中こうこうこうだから、こういう作品が大事じゃないかと思うんすよ~」みたいなことを語ったりします。単純な感想ですが「あー、色々と考えて作ってるんだな」と思わされる。ナンセンスなギャグとか、グロテスクとか、そういう作品の作者もしゃべってみると常識人だったりします。

それは、真面目に作品を作っていれば、作品に対して真摯に接していれば、自ずと自分について・他人について・世間についてを考えざるをえないからです。そして謙虚さとかが出てきます。

アートだろうが、仕事だろうが同じだと思いますが、真剣にやろうと思えば思うほど、考えることは増えていって、結果的に独りよがりではいられなくなり、いい人になっていきます。逆に不真面目な人は自分の心に向かう眼差しも不真面目なので、作っているものもテーマがごちゃごちゃしてたりブレてたりして、ふわっとした中途半端な作品を作りがち。

つまり「いい作品を作っている人ほどいい人」なわけです。いい作品というのは技術のあるなしとは関係なくね。拙くてもいい作品は心を打ちます。

これは、理屈で考えたというか観察の結果です。僕の周りの人たちはいい人が多くて、いい作品を作っていて、全員が順調に仕事をもらっています。「仕事がなくて困ってるんですよ」って相談してきた友人も何人かいましたが、結局彼らも売れました。結果論かもしれませんが、僕は彼らの作品が好きだったので、(やっぱりいい作品を作ってれば売れるわなー)くらいに思ってました。足りなかったのは世間に認知される時間だけだったと思います。あ、そうなると営業が大事って話になるけど、それは、まあ各自でがんばってください。 やり方はよくわからないのです。

はい、というわけで「いい人は仕事がくる」なんてアドバイスにも何にもならない話になってしましました。こんなことをリーダーミーティングで話したわけですが、その後に「じゃあ、どうやったらいい人になれるんだろうか」と悩みました。それで考えたことが次のテーマ。

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どうやって「いい人」になるか

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一応ね、方法を考えましたよ。これもよく言われていることかも知れませんが「今やっている仕事を好きになる」ですね。案件の内容そのもを好きになるか、その仕事を持ってきてくれた人を好きになるか、クライアントを好きになるか、その先のユーザーを好きになるか。どれかでよいです。

好きというのは大事です。そこからやる気が生まれます。やる気があると、アイデアがどんどん出てくるし、クオリティもあがります。何か問題が起きた時にもやる気があるとすぐに解決策を思いつけます。むしろその問題がきっかけで以前よりもいいものが作れたりします。ピンチがチャンスになります。やる気があれば。

でもやる気がないと、問題が起きたときに解決策は思いつきません。「あー、どうしよっかなー」と言って終わってしまいます。解決策が出ないままズルズルとすすんでクオリティは落ちていきます。

やる気の出し方は直接的でなくてもいいです。案件そのもが好きじゃなくても、例えば一緒に仕事をしている人・クライアント・ユーザーのことが好きだったら「この人のためにがんばろう」「この人に嫌われないように作業しよう」と思えます。もし何かのCMの仕事で、自分はその商品を使ったことがないし好きでもなんでもないときに、友人が「この商品いいよね」とか言ってるのを聞いて(へぇー、これ使ってる人いるんだな、このCM作ってることを友人に話したらおどろくな)とか思うだけでもやる気になったりします。

仕事が好きなればやる気がでるし、仕事に対して真摯になれるし、傲らず、いい人になれると思います。どうしても好きになれない仕事をやっていると、やる気がないのって態度に出てしまって周りに嫌われるし、出来上がったものにもやる気のなさがにじみ出ます。バレます。次の仕事は来ません。

なのでアドバイスとして言うならば「その仕事のどこか1部でもいいから好きになること。仕事内容や仕事の相手に対して真面目に接して、やる気を出すこと。そうやっていい人になること」と言えそうです。

そしてそして、わがままな提案をいうなら、「いい人でいつづける為に、好きな仕事だけを選ぶ」という真逆のようなやり方もあるかもしれません。

うーん、どうかな。これはいい方法かな。正直なことを言うと僕が若干この戦略をとっているところがあります。仕事を断らないことがいい人だとは思ってません。みんなもっと嫌な仕事は断ればいいと思ってます。

「どんな仕事でも断りません!」って言ってうまく成長していく人もいますが、僕はちょっと出来ないんですよね。この差が何かはなんとなく分かっているんですが、語るのはまだかな。

話がずれそう。いい人については取り敢えずこれで全部かな。前回も今回も3000字を超えてる、疲れた、寝よう。

利他的という生存戦略

うーん、前回の日記を読み返したんですが、なんかすごいこと語っちゃってるなぁ。毎回の仕事にこんなに気合いが入ってるわけじゃないですよ()気合い入ってない仕事してるって思われるのも困るけども。こういうことは普段はなんとなくぼんやりと考えてて、誰かに聞かれたときに言葉にするとどんどん形がくっきりしてきて内容が突然派手になっちゃうっていうパターンですよ。

だから泰人がいつもいつもこんなことを考えながら生活してるとか思わないでいただきたい。いただきたい。

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 前 回 の つ づ き

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リーダーミーティングで話してたら宮原君から質問がでました。

宮原君というのは僕の芸工大の後輩でして、音楽ライブの撮影とかアー写の撮影とか音楽関係の撮影とか色々としてる方。彼もリーダーミーティングの運営メンバーです。

宮原君のブログ「音楽活動を一生続けるためのヒント集 音楽専門カメラマン宮原那由太のブログ

そんな宮原君から出た質問

「フリーランスで仕事をしている人たちのなかで、仕事が来る人と来ない人の違いはなんですか?」
ちょっと悩んでこう答えました。

「いい人かどうかだと思います」

僕がいい人だって言いたいわけじゃないです。

フリーランスで仕事をもらえる理由でよく言われることがいくつかあります。「仕事がはやい」「レスポンス(メールの返信など)がはやい、ちゃんとしている」「クライアントが何を望んでいるか理解して、それを返す(自分よがりじゃない)」「望まれたもの以上のクオリティを上乗せする」

たぶん、仕事が速いってのが一番ですかね。それがあれば仕事は来ると思います。世の中いろんな仕事がありますが、だいたい求められるのはクオリティより速さですよね。残念ながらね。

でもそういうよく言われていることをここで僕が話しても意味ないと思いました。そして、ふと自分がどんな人に仕事をふりたいかと考えたときに出たのが「いい人かどうか」でした。

僕のところにコマ撮りの仕事の話が来たときに、スケジュールがあわなかったりして断ることがあります。そういうときにたいてい僕は断るだけじゃなくて、友達のコマ撮り作家を紹介します。
それぞれに得意なコマ撮りというのがあるので、それにあった人を選んだりもするわけですが、そういうときに嫌いな人に仕事はふらないですよね。そもそも嫌いだったら友達になってないですが。技術や経験があれば安心して仕事をふれますが、例えば学校を卒業したばっかりで経験もない人がいたとしても、その人がいい人で僕の友達になっていたらその人にもできそうな仕事をふりますし、なんだったら僕がサポートに入ってもいい。まあ、そういう人だと多いのは僕の現場のアシスタントで入ってもらうというパターンですね。最近はそんな感じで若い人にも仕事をお願いしています。

この「いい人」という能力は他のどのスキルよりも重要です。技術的スキルというのはまったく違う職業に転職したときに役に立たなくなることがありますが、「いい人」という営業能力はどれだけ転職しても自分を助けてくれます。知り合いにもともとの職業とは全然違うwebデザインの仕事をフリーで始めた人がいました。その世界ではまったくコネがない最初のころに仕事をくれたのはその人の友人達でした。「彼がwebの仕事を始めたらしい。まだスキルはないだろうけど何か仕事をあげよう」とみんなが思ったわけです。その人がいい人だったから、まわりから好かれて仕事がきたわけです。人に嫌われていたらどんなにスキルがあっても仕事は来ないですよね。

こういうことを考えるきっかけになった本があります。角川文庫からでているNHKの『ヒューマン』という本です。

human

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ドキュメンタリー番組の『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』をつくったNHKのプロデューサーたちが取材の様子も含めてその内容を綴った本です。むちゃくちゃ面白いです。人がお猿さんからどうやって人間になったのか、集団生活や道具がわれわれの精神にどんな影響を与えたのか、その心とか精神の発達について書かれています。世界各地の教授に取材にいったり原住民に会うためにジャングルの奥地に行ったりというロードムービー的な内容もあって取材のながれも面白いです。本当に本当に面白いから読んでほしい。話としておもしろいし、「人間ってそういう生き物か」というのがわかるとなんというか生きていく見通しがよくなると思いました。

その本の中で「利他的でないと生きていけない」という話がでてきます。ちょっとその話をします。

人類がまだインディアンとかの少数部族みたいに生きている時代、アクセサリーがとても重要なアイテムでした。地面の中から宝石などを掘り出して、削って加工して首飾りや腕輪などにして身につけるわけですが、それらは自分のためではなくすべて贈答用だったそうです。だった、というかいまでもアフリカの原住民たちはそういうアクセサリーを贈答しているそうです。

そのアクセサリーを近所でなく各地に点在している他の部族どうしが贈りあうんだそうです。それは友好の証として交換します。そしてもしどこかの部族が飢饉になったときにアクセサリーを交換してあった部族は飢饉の部族を助けるために食料をわけあたえるのです。逆に自分たちが飢饉になったらその部族が食料をわけてくれる。違う部族が助け合って生きていくわけですが、その「助け合いをしますよ」という証がアクセサリーなのです。

なのでアクセサリーをたくさん持っている人というのはそれだけ多くの部族と贈答しあい、助け合ってくれる部族が多いという証であり、生きる力をもっている人だという証なんだそうです。だからアクセサリーを多く持っていることが彼らにとって死活問題なんです。ただのおしゃれではないのです。

もう1つこの本から例を。

狩猟民族の話。村の男達が集団で狩りにでかけて、獲物をとって帰ってくるような場合、獲物をしとめた男はその獲物を気前よく村の人全員に配ります。独り占めしようとか自分だけ多くもらおうとはしません。そういう自分勝手な行為は「立派な戦士の振る舞い」ではないからという言うのです。立派な戦士はみんなに平等で、自分の手柄をひけらかすようなことはしないんです。男達は立派な戦士になりたいので、そういう立派なふるまいをします。ですがそれはもっと重要な理由から生まれた作法なんです。もし、ケガをして狩りに参加できなかったときに食料をわけてもらうにはいい人でないといけないのです。つまり自分勝手な振る舞いをする人はすぐに村八分を食らうのです。それを全員がわかってるから利他的に振る舞うのです。しかしそんな後ろ向きな理由をはっきりと言うわけにはいかないのでしょう、「立派な戦士の振る舞い」というポジティブな言葉で自分たちの振る舞いを律しているのです。(思い出しながら書いているから引用文ではないです)

アクセサリーの交換も戦士の振る舞いも「自分が困ったときに助けてもらうには普段から利他的でないといけない」という人間社会の原則の話です。

人と人との関わりの中で生きていくなら利他的でないと死ぬと思います。フリーランスをやっているから尚更そう思います。いやな人に仕事をふりたくないですもん。企業に勤めていたとしてもクビになったあとに誰かが助けてくれるかどうかはその人がいい人かどうかでしょう。人から嫌われたまま一生クビにもならずに生きていけるとも思えません。

ちょっと話が前後しますが、自分のところ来た仕事を友達にふるということを話したときに「そのときに紹介料のようなマージンをとりますか?」という質問がでました。そういうことはしません。そもそもただのコマドリストがそんなお金をとれるのかビジネスとしてのやり方も知りません。それにマージンをとって友達に嫌われることのほうが危険だと思います。もし紹介料をとるのを繰り返してたら、そのうちに「泰人さんに話をもっていくと予算が減る」と言われるようになって、僕を通さないでみんなが仕事のやり取りをするようにもなると思います。仲介業者というのはそれで成り立っているわけですが、僕個人がそんなビジネスできないし、する気もないです。その仕事はつまらん。それよりも数万円のマージンをとらないで、その友達に仕事をあげたという恩を売っておけば数年後に数十万の仕事を逆にくれるかもしれない。長期的な視点にたてば、そっちの方が利益が大きいです。

村八分という言葉があるように、村社会だとこの考えが根強いのはイメージしやすいと思います。では都会的な生活が増えてそれが薄くなったかというと、いまはSNSが発達したのでこの村社会の雰囲気は全世界でなりたってしまうと思います。陰でこそっと悪いことをしても誰かがツイートしたら全世界にバレてしまう。芸能人が炎上して仕事がなくなることも珍しいことではなくなりましたし、一般人でもネット炎上が理由で自殺する人がでてきました。大企業のサラリーマンも私生活での振る舞いがツイートされてクビになる時代です。あらゆる場面で村社会の目がきびしく光っていると思った方がいいと思います。

などなどの理由から「仕事が来るかどうかはいい人かどうか」という話なのです。

あー、長くなった。もう12つ「いい人」について語りたい。後日に回します。おやすみなさい。