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たごまる離合ちんちこちん

iPhoneが直りました。何度目かの再起動で直りました。電話が壊れてた期間が数日あったわけですが、その間まったく電話がかかってこず、1度も困らなかった(笑)大丈夫かな自分。社会とちゃんとつながっているかな。

長袖のシャツを着て、その後に上着をきたときに、中のシャツがめくれていって肩の方にあがってまるまってしまう現象。

みなさん、なんて言いますか?

「そんなの会話にしたこともないから、言い表すことないよ!」ってなると思いますがー、

それ、岩手だか東北の方言で「たごまる」って言うんですよ!

シャツがたごまった。とか言うんですよ。
そんなに使う機会ないけどその単語を聞いて時、めっっちゃすっきりしたっていう気持ちになりました。

あと「離合(りごう)」って知ってますか?

車で運転してて、対向車が近づいてきて、すれ違って、離れていくことです。

「この道せまいから離合するときドキドキする」とかって使います。これは九州の方の方言かな。福岡の友達から聞きました。大抵の人がこれ知らないだろうけど、離合って言葉がなかったら運転してるときのこの状況を何て言ったらいいの!?ってなる。もう離合なしには生きられない。

今まで意識してなかったことを1つの単語で示されるのって好き。なんか、目がはっきり見えるようになったような感覚になる。おおげさだけど。

まあ、逆に言葉ではすべて言えないっていうのも好きですけどね。『ナンバーファイブ』で「そのときの感情をあらわす言葉はまだこの地球上には存在しないよ」みたいな語り(うろ覚えでごめん)も好き。

余談だけど、名古屋弁で金属とかのものが熱いことを「ちんちんに熱い」って言います。「やかんがちんちんに熱いから気をつけてね」みたいな。もっと熱いと「ちんちこちん」って言います。
「熱い」「ちんちん」「ちんちこちん」の3段活用。

はい、今日はこの辺で。

No.1キャバ嬢になりたい。

コーチングの話だけどさ、誰かに話を聞いてもらうってすっごい楽しいですよ。

キャバクラとかホストクラブも、そうなのかな?行ったことないけど、話を聞いてくれるんでしょ?楽しいと思う。キャバクラは行ったことがないから1度行ってみたいと思っているけど、行ったことのある友人(男性)から「泰人はたぶん高級なキャバクラじゃないと満足しないと思う。女の子の話すレベルが違うから」って言われて(そうかもしれん)と思ったけど高級なキャバクラというのがいったいいくらお金を持っていたらいけるのかわからんから怖い。

あとホステス(?あってるかな、キャバ嬢じゃない感じの方)をやってたという友人(女性)から「泰人がお店にきたら絶対に落とせる。真面目な人ほど簡単にはまる」って言われて、やっぱ行くの怖いなーって思ってる。

いやいや、キャバクラの話がしたいんじゃないよ。

ふだんね、みなさんも友達とか職場で会話をしてると思うんですけど、「話を聞くだけ」をしている人っていないんですよ。わかりやすい例だと僕の父親が全然人の話を聞いてないんですけど、どんな話題をしてても自分の意見を言いだして食べ物だろうが文化だろうが最終的には日本とアジアの歴史のすごさを語りだすんですよ。もう、家族は諦めてるんですけど(笑)うーん、最近は落ち着いてきたかな。

話を聞いているときに相槌をうつと思うけど、たいてい相槌に終わらないんですよね。
「うんうん」「ふーん」「そうかー」は相槌だけど
「分かるわかる」から徐々に自分の意見の度合いが増してきまして
「そのお店、私も行ったことある。いいよねー」とか
「僕の時はこうだった」とかなんか違う事例を持ち出してきて
「こうした方がよかったかもね」って意見を言い出す。

女性は会話に共感をして、男性は解決策を言いがち、っていう会話の仕方の差についてはよく言われるけど、そんなことで終わってないで、もっと聞くことの大切さを考えた方がいいと思う。

コーチングで自分が話しててわかったけど、話すときって最初はなんでもないことから始めるけど、しばらく話していると自分が本当に気にしていたこととかに本人が気づいて、より大事な話題(よりパーソナルな事というか)に移行していくんですよ。でも普通の会話だと話しはじめの段階で聞き手の頭の中に話したいことがでてきちゃって「俺の場合ね~」「そういえば、こんなこともあったわ~」って言い出すんですよ。みんな話したくてしょうがないというか、頭の中に出たことを言いたくて我慢できない、僕も含めてみんな。そして話題がどんどん変わっていってしまうと、実は本当に話したい事まで到達しなくて消化不良みたいな感じになる。

「聞くのが上手」っていうのは、もっとわかりやすく言うと「相手が話している間は、うなずく以外の行為を一切しない!最後まで何もしない!」ってことだよ。もう、ずっと黙っててほしいんだよ。この点で犬や猫が愛される理由がわかる。だって彼らは話を聞いてくれるもの。友人は話を最後まで聞かないもの。占い師やカウンセラーもそういう存在だとおもう。

まぁ、普段そこまでの会話をしたいってみんなが思ってるか知らないけどさ。もっと情報交換だけの会話とかただ楽しいだけの会話ってのが普通なんだろうけど。コーチングをうけてたら「他の人とはこういう会話の仕方って普通できないんだな」って思ってしまったのです。

そんな会話についてのことをコーチングを受けている1年間考えてたんですが、最近すすめられた本『愛と癒しのコミュニオン』というのに、そのことが書いてあった。これは僕のコーチの越智さんの先輩の方から勧められたのですがコーチたちがやっている傾聴についての本。まだ読みかけだから読了したらまた日記に書くけど、なんかもうまとめられている文章を読み始めたら、同じだけど自分がいままで未熟ながら考えていたことを記しておきたくなって、慌てながら今日の日記を書きました。

できれば無重力日記は完成した文章ではなく僕の考えの変遷の軌跡としてつづっていきたい。なんか完成する前の話の方が面白い。あ、本でもそうだ。ビジネス書とかで方法論をステップ形式で書かれたものより、その著者がその考えに至るまでの半生とか失敗の思い出話とかのエッセイの方が好き。

人は死ぬことで完成するっていう考えがあるけど、ならば未完成の方がよっぽど面白いじゃん、っていう気持ち。

殻やぶる?壁越える?そ・れ・と・も・ハードル越えたい?

言葉が好きだもんだから同じことでもこの言い方よりもこっちの言い方の方が好きっていうのがちょいちょいある。

ゲスの極み乙女の『私以外私じゃないの』というのも上手い言い回しだなと思った。「あなたはオンリーワン」と言っていることは同じなんだけど、こう言われて「あー、そうだよなー」ってなんか納得できた。逆に「世界にひとつだけの花」って言われても全然ピンとこない。

この間書いた「物に対するコミュニケーション能力」もそんな感じだと思うんだけど、同じものごとでもその言い方を変えることで受け入れられるかどうかって決まる気がするんだよね。だから自分で納得する言い方というのを探しているところがあります。

言葉以外にもさ、なんだろ、科学と宗教とかも僕にとってはそんな関係に見えるのです。

風水の中に「玄関と奥の部屋の窓が一直線になっている家は気の流れが悪くなる。なぜなら龍はうねりながら進むから。一直線の家は龍が通りづらい」というのがあるんですが、これって科学的に言うと奥の部屋の窓と玄関がまっすぐになっていると風がその一直線にしか通らずに部屋の隅の空気がこもりやすいっていうのがあるのね。すこし曲がっているとか、途中に物があって風が回り込むように流れると部屋の隅の空気も一緒に動くから。そんで、空気がこもるとカビが生えてその家の人が病気になるっていうことにつながるわけ。でもそんな気流の力学と免疫学についての話をされなくっても、昔の人たちは「確かに龍はくねくね進むからな」って感じでその説明を納得して風水を実践していたわけで。

西洋医学と東洋医学でいうと、いま断然に東洋医学の考え方の方が好きになってしまった。西洋医学って原因を解明しようとして細胞を切り刻んで顕微鏡を覗いていろんな物質を発見しているけど、それは直接の解決になってないように見えるんだよね、わるいんだけど。だって疲労の原因だってさんざん言われてた乳酸が、疲労物質じゃないらしいってつい最近言われたじゃん。なんじゃそりゃって思ったよ。コーヒーとかもさ体に悪いとかガンが治るとか良い悪いがひっくり返りまくりだし。僕も科学大好きっ子ですから、そういう研究とか好きだし、大いに進めるべきだと思うけど、健康を手に入れたかったら現段階では直観的な因果関係を見ている東洋医学の方が優秀なんじゃないかなって思う。これ食べたら治ったからこれ食べとけ、みたいな感じ。すごい雑に言っちゃったけど(笑)あと気・血・水っていう概念で健康や病気をとらえるんだけど、それもなんというか合理的なものに見えるんだよね。逆に西洋医学は終わらない回り道をしているように見える。そこから得るものがたくさんあるし、病気を治しているのは知ってるけど。

あー、いっこ思い出した。たぶん4年くらい前なんだけど「赤ちゃんも頭がいいんです」みたいな論文がでたんですよ。webで紹介されていたものだけど。赤ちゃんっていうのが何歳のことをさしていたのかわかんないけど、おそらくしゃべりだす前だろうから、0~2歳くらいかな。実験でね、赤ちゃんにテレビ番組を見せるんですが、普通に見せてるとみんなテレビを眺めているんだけど、ある番組を前半と後半を入れ替えて見せると、とたんに興味がなくなるっていう実験結果があったんですよ。つまりその番組は後半から始まって、ある瞬間に突然前半に戻るので話が繋がらなくなる。それをぼーっとみてた赤ちゃんたちは話が繋がらなくなった時点でテレビを見るのをやめったという。この実験で科学者さんは「この赤ん坊はテレビの内容をちゃんと把握しているんだ!」って論文を発表したわけです。そのweb記事を読んだ後に、1歳くらいになる子供がいる女友達と会ったのでその話をしたら「うん、赤ちゃんはちゃんとこっちの話とかわかっているよ」って言われまして。そのときの彼女の反応は「なに今更そんなこと実験してんの?わかってることじゃん」って感じだったんです。

僕にはまだ子供がいないので、外野から思ったことですけど、世のお母さんたちが既にわかっていることを科学者たち(たぶん男性でしょう)は一生懸命に実験して確かめないと理解できないんだなって。なんだろう、オーバーに言えば、学者が哀れに見えたというか。そんなことを思ったんです。

うーん、また話が変わってしまったか?いや、物事を理解するのに科学を用いるか、経験と直感を用いるか、宗教を用いるか、好きなのを選びんしゃいっていう話だと思う。

それと言葉の話も、言い方によって受け取れるかどうかっていうのがあると思っていて、世の中にすでにさんざん言われていることでも自分なりに違う言い回しを見つけたら無重力で書いていきたいと思っているのですという表明なのです。