作りたいもの、作れるもの
少年ジャンプをトップ少年誌にもっていった伝説の編集者鳥嶋さんのインタビューがすごかったので、ぜひ読んでください。
すごい言葉がたくさんあるって長いですが、その4ページ目にさらにすごいことが書かれてまして、引用します。
伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった!
鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話
鳥嶋氏:
ビッグヒットを生む最大のコツは何か分かる?
――いや、さすがにちょっと(笑)。
鳥嶋氏:
簡単。「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」ですよ。
いかに作家に無駄弾を撃たせて、いかに何度もダメ出しをして、
最後には作家に「自分は他人よりなにが優れているか」を悟らせるか、これに尽きるんだね。
(中略)
――でも、作家自身で自分が本当に「描きたいもの」に気づくのって、ずいぶんと難しくないですか?
鳥嶋氏:
そこでもう一つの話になるんだね。
作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。
(中略)
結局、ヒット作はその人の「描けるもの」からしか出てこないんです。それは作家の中にある価値観であり、その人間そのものと言ってもいい。これをいかに探させるかが大事で、そのために編集者は禅問答やカウンセリングのように色々なことを対話しながら、本人に気づかせていくんです。
すると、本人にしか出せないキャラクターが、まさに則巻千兵衛のようにポンと出てくる瞬間がある。ここにその作家の原点があるんだね。そして原点的なものは、まさに言葉本来の意味で「オリジン」なんです。「オリジナル」であることの真の意味とは、そういうことなんですよ。
「描きたいもの」はじつは作家の外にあるもの、すでに作品になってるもの。その既製品を作家が見て、これを描きたいと思っている。
「描けるもの」はその作家の中にすでにあるもの。それはその作家の中にしかない、世の中にはまだ無いもの。それこそがヒットするもの。そかしおそらくその「描けるもの」は作者のなかに当たり前に存在していて気付きにくかったり、コンプレックスの形で存在していると思う。それを見つめて、素直に自分の作品ですって提出するのは度胸がいると思う。
いままで自分が本当に作りたいものは何かと自問することは多かったのですが、その中にはただの他者への憧れがまざってることは多そう。それを見分けないといけない。鳥嶋さんの言葉は衝撃でした。
「作れるものがオリジナル」というのは友達を見てて何度か思ったことがあります。友達のアニメ作品をみて「ここのシーンすごくいいよ!」と言ったら、何の気なしに作ったとか苦肉の策で作ってることがあって、とっさに出たアイデアが実はオリジナリティのある作品になることってあると思います。
でも、それを見つけるのって大変だよなーって。
だから無駄玉を打たせる必要があるのか。たしかに作品をたくさん作るとだんだんと自分のオリジナリティの輪郭線が見えてくることってあります。
そういえばシャーロックホームズの作者コナンドイルはホームズがヒットした後にホームズの作品が書きたくなくて、すごい悩んだって話もありました。ヒットした作品が作りたいものとは限らないって苦しい話でもありますね。
なんだろ、うまいこと混ぜれたらいいのかな。
たくさんの無駄玉を打って編集者に何度もボツって言われるのって血の涙を流すぐらい辛い作業だと思うんですけど、羨ましいことでもあります。コマ撮り作家にはそんな親身になってくれる編集者なんて人いないしな。他の職業でもそういないか。
僕がコマ撮り編集者とかになったら誰かを助けれるかなとか、そんなことも考える。まだよくわからないですが。
【作りたいもの、作れるもの】
2021.10.28