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https://kudok.com/modules/wordpress/2012/05/04/208/
作品づくりを麻雀に例える話 その1
9月ですね。なんだか寒くなってきました。セミも鳴いてないし、
夜になったら「リリリリリー」みたいな虫が鳴いてるよ。
名前わかんないけど。秋だ。コロナがぜんぜん収束してなくて、ビビりながら家にこもってます。ワクチンの予約取れたけど10月になりました。
さてさて、作品づくりを麻雀に例えるというすばらしい文章があったので紹介したい。
いわゆる『頭の中に大傑作として存在しているストーリーを実際に書くと、どういうわけかつまらなくなる問題』を麻雀でたとえながら考えてみる
というタイトル
こちら。
https://kudok.com/modules/wordpress/2012/05/04/208/
2012年の文章。ネットの情報はいつ消えるか分からないので概要を書いておきます。
小説家志望の人がぶつかる壁の1つ「頭の中で考えた大傑作ストーリーを実際に書くと、つまらなくなる」のはなぜなのか。
小説の執筆を麻雀に例えよう。麻雀は配られた13枚の牌を1枚ずつ交換して、役となる決まった並びにそろえるゲーム。牌にはいくつかの種類や数字があり、同じ牌を使っても並び方で出来上がる役がちがう。いい点の役は最初からできるものではなく、偶然や駆け引きの中で作り上げるもの。
小説も同じで、作家の頭の中に小説の材料がごちゃごちゃとあるだけでは役(ヒット作)にはならない。作家の経験や思考、能力、時代の流れ、編集者などいろいろなものが絡まり合って傑作ができあがる。
頭の中にある大傑作ストーリーが麻雀でいうと何なのか。それは実戦ではなく、自分1人で牌を好きに集めて役満(点の高い役)を並べたようなもの。
それで出来上がった役を友達に見せて「見て見て、俺、すごい役満そろえちゃった、すごくね?」と言ってるようなもの。すごいクライマックスシーンだけを想像して、どういう経緯でそうなったのかなどを考えてない。
役満がすごいのは実戦で揃えるからであって、ただ牌を集めた役満には価値がない。その役満だけをイメージして執筆を始めると、そもそも狙っている手が自分の配牌とまったく合わなかったり(キャラクター設定の失敗)、捨てる牌を間違えれば(構成の失敗)役満のできそこないの点のない手が出来上がる。配牌(自分の能力)を無視して特定の役だけ狙えば上がれる確率は低い。
役満を狙うだけで上がれないことよりも、役を作って上がること(作品を完成させること)が実戦では評価される。どんな配牌や流れが悪くても、駆け引きと知恵で役を作って、たとえ点が低くても上がることもプロの姿。そういったことを繰り返しているうちに、ある日ふと役満を狙える配牌が来るのだと思う。
要約ここまで。
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