
ホラー映画の『ストップモーション』を見てきました。
コマ撮り監督やってるしホラー好きだしチェックしなくっちゃねと。
予想以上に怖くて面白かったです。コマ撮りやってるからというのもあるけど、僕の中のホラー映画ランキングのかなり上位になりました。
今回の記事の内容
感想をしっかり書きたいのでネタバレ込みです。ホラーシーンについても書きます。そこから映画としての考察と、その派生で『ジョーカー フォリアドゥ』の失敗について書きます。
ストーリー
主人公エラはコマ撮りアニメーター。母はコマ撮り業界では有名な作家。高齢な母親の手が動かなくなったので、エラがアニメーターとして母親の指示のもと映画制作を自宅でしている。自宅で2人っきりの生活と撮影がつづき、介護の苦労も感じさせつつこの母親の厳しさや異常さがとてもよい。お母さん怖いよ。。。冒頭が普通に「人が怖いホラー」でした。
やがて母親は入院し、エラは1人で作ろうとするが行き詰まる。「自分のオリジナル作品をつくらないの?」と恋人に言われるが、自分では何も思いつかないとエラは言う。この「オリジナルを作る作家か指示をうけて作る職人になるか」の選択は作家をやっていると突きつけられる問題で、悩むものですね。(決してオリジナルが作れる人が”偉い”というわけではないんですが)
そこへ、謎の少女が現れて、母親と作った作品を「つまんない!」と言い放ち「新しいのをつくろう」と誘ってくる。新しいストーリーを教えてくれつつも、主人公の人形には遺体修復用のワックスを使えとか、生肉を使えとか、だんだんと常軌を逸してくる少女とエラの制作。
撮影シーンでは普通にドラゴンフレームのテンキーがあって親近感。クレジットにもドラゴンフレームのロゴがありました。
この劇中劇のコマ撮り映像がとても怖くてよかった。この監督のロバート・モーガンはもともとコマ撮り監督なんですね。それで納得だし、むしろ嬉しかった。コマ撮りの狂気にいる当人がこういう映画をつくってくれて。コマ撮りやったことない監督が「コマ撮りって気持ち悪いからそれでホラー撮ろうぜ!」って軽い動機で作ってたらムカついたと思う。
エラの周りの人間関係
コマ撮りを作ってくと、エラの周りで怖いことが起こりまくる。その1つ1つも良かったけど、この映画でよいのは、エラを取り巻く人間関係ですね。
母親は著名な作家で、エラも母親のことを尊敬はしてるだろうけど、エラのことを「操り人形ちゃん」と呼ぶし、全然優しくない。
エラの恋人のトムは音楽をやってるというけど、生活のために普通に会社員をやっていて自分の生活をうまくこなしている。コマ撮りアニメーターとして頑張るエラを尊敬して気にかけつつも、「そんな大変な撮影やめて、僕から仕事をあげようか」みたいな、現実的な妥協案を言ってくる。
(余談だけど、このトム役の俳優の名前がトム・ヨークで、スタッフロールで「え、トム・ヨーク?レディオヘッドの?」ってなったけど関係なかった)
恋人トムの姉のポーリーもコマ撮りを作っているが(プロデューサーとかかな)、ちゃんとしたスタジオでスタッフとともに広告用のコマ撮りを何作もつくっていて、仕事として成功している。
おそらくコマ撮りアニメーターとしてアーティスト的に成功したいエラと、その周りでうまいこと仕事をしているトムとポーリー。2人からの仕事の誘いをエラは拒否して、エラは謎の少女とオリジナル作品を作り続ける。
実写と人形世界をカットで繋ぐ演出
とくに演出的に面白かったホラーシーンは、エラが作ってる映画に出てくる灰男(アッシュマン)というモンスターが、大きなサイズになってスタジオにリアルに現れて、エラを襲おうとするシーン。そこから逃げようとしたエラの足が”まるで人形みたいに”ボキって折れて、そのあとエラが転んだら、カット割って、ワックスでできた人形が転ぶところ。
この人形はエラ本人なんですが、見た目はぜんぜんエラっぽくないし、「エラが人形に変身した」という魔法的な演出はなく、ただカットのつなぎで 、人形セットの人形のシーンと現実のマンションのエラのシーンが交互にきて、この人形がエラだなと観客がわかるという演出が面白かった。
そして人形が灰男から逃げるわけだけど、その人形はエラそのものだから、けっこう怖い。人形の世界として怖いというのとリアル(エラの)世界としての怖さが同居してる感じがする。それが面白かった。
作家の狂気
途中から観客もわかってくるけど、この少女はエラにしか見えてなくて、彼女の内なる狂気が現れたもの(という解釈ができる)。ざっくりとしたまとめをするとこの映画は「コマ撮りアニメーターがどんどん気が狂ってく映画」です。
最後、恋人とその姉を殺して、2人の肉をつかって大きな人形を作って映画を撮ろうとしたら、その人形がエラを襲ってくる。それをみて少女も「こんなはずじゃあ。。。」と驚く。ここは演劇でいうとこの第四の壁を突破されたみたいな感じでよかった。作家の中の狂気が本人の意思を超えて暴走してくるあたり、ホラーの展開として良いのもあるけど、芸術家の狂気ってそういうところあるよね、って気もしました。
余談ですが、人を殺すときにカメラの三脚をつかって殺すシーンがあるけど「撮影道具をそんなふうに使わないでー」って思った。これkら三脚をつかうたびに思い出しそう。
映画は変化を描くもの
さて、僕はこの映画を劇場で2回観て、2回目はけっこう冷静にいろんなシーンを理解しながら見れたのですが、
この映画の終盤、恋人を殺してその肉で人形をつくるくだりで「こんな感じで人の肉で人形をつくるサイコパスなキャラってよくいるよな」って一瞬思いました。
でもこの映画はそういうサイコパス的なキャラクターのやつより全然面白いなと思った。そこで思い出したのは「映画は変化を描くものだ」という言葉。セイブ・ザ・キャットでも書いてあったかな?たぶん多くの脚本術で言われてると思う。
この主人公のエラは最初は普通の人だったけど、母の影響やいろんな影響で、ちょっとずつ狂気に走っていく。その結果があのラストシーン。あ、ラストシーンのわけわからん結末の余韻も好きです。
普通の人が狂気の人になるから面白い。
深さとはその距離のこと
『物語の才能』で書かれていた、“深い”映画の作り方について。
映画の冒頭は日常生活のシーンなど浅い話を描き、そこから仕事の大変さや病気で苦しい生活など徐々に深い話になり、最後に「生きるとはなんなのか」「正義と悪とは?」とかの深いテーマを描くと本当に深い映画になる。
これが映画の冒頭にいきなり主人公が「生きるって何なんだ!」って言っても、浅いものにしかならない。テーマの深度そのものよりも、浅いところから深いところまでの距離があってはじめて深い映画となる。と。なるほど。
そこから僕が思ったのはキャラクターも同じなのでは?ということ。狂気のキャラクターを出すときに、最初から気が狂ってて薄っぺらいサイコパスな作品ってありますよね。それでも魅力的なキャラクターをつくることもできるけど、そのキャラの過去とか、なぜ狂気に走ったのかが窺い知れると面白いのではないでしょうか。この『ストップモーション』は徐々に狂気に落ちていく様子が面白かったと思う。
それに対して『ジョーカー』の2作目って微妙だったなと思いついたのでそれも書く。
以下、ネタバレあり。
『ジョーカー フォリアドゥ』
劇場で見てきたんですが、いつ脱獄するのかなーってワクワクながら見てたら脱獄しないまま終わって、心の中でズコーってなった。そういうストーリーの映画だったんだー、と。どうもファンからの評価も低いのかな、詳しく調べてないけど。
今作はたぶん「ジョーカーなんて居ないんだよ」っていう映画だったんだよね。
前作では主人公アーサーは、精神的な障害を持っていて社会的弱者で、その状況をひっくり返す暴力でもって貧困層のヒーロー”ジョーカー”になった。その変化が良かったし、弱者である主人公が傲慢な成功者や金持ちをぶっ殺すところがスカッとする部分で、いまの時代に共感を呼ぶダークヒーローになっていると思う。
そのジョーカーの活躍とかバイオレンスさをもっかい見たいと思って2作目見たら、全否定みたいなことになった。それで「つまらん」となっている。
そんな感じだと思うんですが、それは描いたテーマが良くなかったというよりは、描き方なんじゃないかと。2作目でアーサーは最初から投獄されてて、大人しく模範囚みたいに過ごしている。観客はそこからの脱獄を望んでみてたら、最後まで刑務所にいたまま死ぬとういエンド。シーンも刑務所と裁判所と移動する車のシーンの繰り返し。途中に妄想ミュージカルシーンがなん度もあるけど現実では何も変化がない。
「ジョーカーはいない」というテーマで、かつ観客を納得させるなら、映画の序盤はアーサーはジョーカーとして振る舞い、人殺しとかバイオレンスなシーンもたくさん見せて、途中からジョーカーであることの苦悩とかを描いて、ラストでジョーカーをやめて、そしてファンから殺される、とすれば変化も描きつつ、バイオレンスも見せて、テーマも出せるのでは?どうでしょうか。
逆に、そうしなかったってことは監督たちの意図がそこにあるわけで、あえてそうしたのかな。あえてジョーカーファンたちにそうじゃないってことを言いたかったのかな。分からないですが。
余談 周りの反応
SNSで「ストップモーション見てきました」って投稿したらコマ撮り関係者からいっぱいコメントきた。やはりみんな気になっていたようで、怖いの苦手な人も多いから「見に行けないわ〜」と何人も言ってました。でもコマ撮り好きの中にホラー好きもそこそこの割合でいると思うので、ホラー大丈夫な人にはオススメです。
あと、エラが病室の寝たきりのお母さんの腕を動かしてスマホでコマ撮りしようとしてるシーン、ちょっと怖くて面白かった。アニメーターなら考えちゃうよね。そしてこれは自分のことをお人形ちゃんって呼んでいたお母さんを人形扱いすることでささやかな復讐をしていたとも取れるのかな。
