「やりたいこと」タイプ or 「ありたいすがた」タイプ

12月30日です。寒いですね。マンションのエレベーターで乗り合わせたお婆さんと「寒いですねー」って会話してたら「でも、寒くないと正月っぽくないからねぇ」とおっしゃって、その捉え方はいいなぁと思いました。ネガティブなものでも「らしさ」で捉えるのはいいよね。

寒くならないと冬服のおしゃれできないしね!オコタの幸せを感じれないしね!

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新しいMacBook Proを買って2台になったわーと思ってたら古い方のMacBook Proが完璧に壊れました(笑)古い方の動きが遅すぎたのでディスクの初期化をしてOSを再インストールしようとしたら灰色画面から進まなくなってビープ音が「プープープー」ってずっと繰り返してる。アップルケアに電話したら「もう完璧な故障です。修理するしかないですが、そのMacBookはビンテージモデルなので部品がなく、修理対応できません」的なお返事。5年前のモデルがもう修理してもらえないのかー。まあパソコンなんてそんなもんか。
もともと1台でやってきたから支障はないはずなんだけど、2台あると思ったMacBookが1台になるとなんか心もとない。

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多くの人に読んでもらいたい記事があったので紹介。

「やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話」
http://dutoit6.com/183

元記事が消えたらいやだから覚え書き的に内容を書いておきます。

<記事内容のざっくりした説明>

「目標をもとう」ってよく言われるけど、やりたいことが無いという筆者が考え至った「やりたいこと」タイプの人と「ありたいすがた」タイプの人の話。

「やりたいこと」タイプの人は目標があってそこに向かっていることが幸せ。未来に向かう矢印のイメージ。
それに対して「ありたいすがた」タイプの人は「いまが満たされるのが幸せ」と思っている。その幸せの状態が未来までまっすぐ進む円柱のイメージ。
どこを幸せと思うかが違う。
そして「やりたいこと」タイプの人がする質問は「1:何がやりたいの?」「2:それはどうやったらできるの?」というものが多いけど、それは「ありたいすがた」タイプの人には通じなくで「???」となってしまう。やりたいことがないから。だけどその質問の前に「1:どういう状態だったら幸せなの?」「2:それはどうやったら満たせるの?(何がやりたいの?)」「3:それはどうやったら実現できるの?」という質問だったら答えられる。

これは「目標」というものをどう捉えるかという話になっていて、「やりたいこと」タイプの人にとっては目標はゴールそのものだけど、「ありたいすがた」タイプの人にとっては目標をもつことは「満たされること」のためのツールになっていると。

</記事内容のざっくりした説明>

【泰人はどちらなのか】
よい記事だと思いました。そして、自分は「ありたいすがた」タイプの人です。1年後とか10年後の目標を持つというのが生理的に無理。それよりも今日を心穏やかに過ごすことがすごく大事。そこから複合的に考えるようになって、「”やりたいことを目指す状態”というのに今なる」というのが大事なんじゃないかと思っています。未来のことを考えて目指すのですはなく、目指す状態をいま成り立たせる。いつかやろうと思っていたことを今日ちょっとだけやってしまう。考えの基準点は今日。という考えに最近なっております。

【外から見ると】
この記事のことをコーチングの越智さんに話したら、またちょっと違うことを話してくれたのでその紹介。
「ありたいすがた」タイプの人も現状が満たされると、やりたいことを自然と思いついてそれを実行しようとするそうです。例えば仕事がバタバタ大変で日常生活もおろそかになっていた人が仕事も落ち着いてきたら、新しい趣味を始めるとか。それで元気な様子になる。
でもそれは外から見たら(特に「やりたいこと」タイプの人から見たら)その人は「新しいやりたいことを見つけたから元気になった」と勘違いされてしまう。似ていることだけど微妙に違う。

【声の大きさ】
この記事を読んで最初に思ったのは「やりたいこと」タイプの意見が世の中に多いだろうってこと。「このタイプの人」が多いのではなく、「このタイプの意見」が多いってことね。このタイプの人は声が大きいと思います。実際の声ではなく、アピールをするという意味で声が大きい。目標を持とうって会社の同僚や後輩に言う、講演会をひらく、本を出版する。自分がそうやって生きてきたからそれが正しいって思ってる。それに対して「ありたいすがた」タイプの人は声が小さく、「私って普通と違うのかな?」とか思ってしまう。「ありたいすがた」タイプの意見は大きくは世に出てこないから「やりたいこと」タイプの人は自分と違うタイプの人がいるって気付けない。こういう実情とは違う、声の大きさのズレって実はけっこうあると思うのです。パーリーピーポーと読書好きの人ってどっちが多いかって数で測れないと思うけど、圧倒的にパーリーピーポーのほうが大きい声で騒いでて、世間でいうところの影響力が大きい。読書好きは声をださないから目立たず、世間への影響力が少ない。そういうときにパーリーピーポーは自分たちが多数だと思い、読書好きは自分たちは少数派だと思って過ごす。別にパーリーピーポーを批判するわけではないですが、どちらの人にもそういう思い込みがあって、世間が分断されていると思うのです。

だから、この記事を読んでまずは普段目標を持てないことに悶々としている「ありたいすがた」タイプの人々にこの記事を読んでほしいって思いました。でも次の瞬間に、むしろ「やりたいこと」タイプの人にこそこの記事を読んでもらいたい、と思い直しました。自分たちと違う考えの人がいるということに気づいてほしい。

【人とは分かり合えないかもという話】
PCMを勉強した時にも似たようなことを思いました。
PCMでは人の性格を6つのパーソナリティの組み合わせで説明をするんですが、根底のパーソナリティがどれかで生き方が全然違うんです。正確には組み合わせによるので6×5×4×3×2パターンとそれぞれのバランスによって違うんですが、大きく言えば根底の6つで違います。その6つの違いの説明をうけたときに最初は「こんなに考え方というか生き方が違うのか!これは分かり合えないわ!」って絶望しました。6つパーソナリティがあるってことは自分と違う6分の5の人とは考えが違うわけでその人たちと分かり合えないじゃん!って。さらに同じパーソナリティの人同士がうまくいかない場合というのを聞いて、6分の6と仲良くなれないのか!?って思いました。
「人はそれぞれ違う」という話はよく聞くし分かっているつもりでしたが、PCMでその違いが徹底的に解説されて、ヤバイって思いました。これはもう本当に分かり合えないじゃんって。

でも実際は自分と違うパーソナリティの人と友達になるし、恋人になる。自分と違うタイプだから仲良くなれるというのもよくある話ですよね。ここに気づいたときに、人間関係って面白いなーって思いました。自分と違うことを否定すればケンカになるけど、認め合えれれば仲良くなれる。

【この日記のモチベーション】
それで、この日記を書く動機の話になるんですが、もともとは自分の考えを書いて共感してくれる誰かが読んでくれたらいいかなって思ってたんですね。
だったんですが、PCMのときに6分の1の人にしか共感を得られないかも!?って思ったらこのブログを書く元気がなくなってしまったことがありました。6分の5の人には共感されない可能性に不安になったのです。でもそのあとに「共感できない人には、こういう考えをしている人もいますというお知らせ」として書くということでいいかなと思い直しました。読者に反対意見を持たれることは全然かまわないのですが、世の人たちが「自分の考えが絶対正しい、みんな自分と同じように考えているはずだ」と思い込むのはよくないなと思っています。なので反対の意見がある人には、こういう意見の人もいますアピールをしていこうかと。あ、できるならその反対意見も聞きたい。僕自身が自分の意見に凝り固まるのもイヤですし。

そして共感を得れる人には「だよねー、わかるわかるー」って言い合えれればいいかなと。そんな考えになりました。

ではではまた来年。