作品に理由付けが必要なわけ

はい、こんにちは。泰人です。

先週の火曜日に静岡産業大学にお邪魔しまして特別講義というのをしてきました。自分の学生時代からいまの仕事に繋がるまでを喋ってきました。その後に学生さんから出た相談がこちら。

「作品を作るときに先生から理由を説明しろといわれて困っています」

ありますよねー、おそらく多くの学生さんが悩んでいることなんではないでしょうか。理由をいろいろと説明するの難しいし嫌ですよね。「面白いと思ったから作った」以外に語りたくないですよね。芸工大の卒業制作にも論文をつけないといけませんでした。そして申し訳ないですが僕はそこから逃げました。『オオカミとブタ』は卒業制作ではなく完全な趣味として作ったものです。論文が嫌だったのでプログラミングが専門のゼミに入りました。C言語を使ってPhotoshopのフィルタを自作するみたいなことです。そっちはアルゴリズムの解説をしたら論文としてOKだったのである意味で楽でした。逃げただけじゃなくて前向きな理由を言えば「卒業をしたらプログラミングなんて勉強しないだろうからここで一回勉強しておこう」というのもありました。

さてさてそれで働き始めて6年くらいたちますが、だんだん理由付けについてわかってきたので「理由付けが必要なわけ」と「理由付けが出来るようになるトレーニング」を書こうと思います。

まずは「理由付けが必要なわけ」から。

学校の課題では理由を求められると思いますが、働き始めたらもっと理由を求められます。2つの方向から求められます。1つめはクライアントに説明する理由。CMをつくるとしたら「かわいいCM」を作るのか「かっこいいCM」を作るのか、どちらがより良いのかをクライアントにプレゼンで説明しないといけないわけです。この場合「商品がかわいいので女性にうけるようにかわいいCMにしましょう」と言ったり「御社はこれまでかわいいCMだったから、ここでかっこいいCMにして新しいユーザーを獲得しましょう」でもなんでも。(こういうことを考えるのは基本的に広告代理店の役目です)その理由とかCMを作った効果を理解してもらわないとクライアントはお金をだしてくれないわけです。「なんとなくいいCM作ってくるんでお金ください!」と言っても予算はおりません。

僕の場合ですと「コマ数は10fpsか8fpsがいいと思います。なめらかに動きつつもコマ撮りらしいカクカクした動きになるのでアナログ感とか手作り感を表現できます」みたいなことを言います。

そして理由が必要になるもう1つの方向が、スタッフに向けての理由です。監督というのは英語でDirectorですが、これには道案内人という意味があります。映像を作るときには監督以外にカメラマン・照明マン・美術・スタイリスト・メイクさんなどなどいろんなスタッフがいて協力しあっていくわけですが、これを山の中を進む団体だとしたら、監督が「あのかっこいい山をめざそう!」と言わないとみんなで迷子になるわけです。目的地がハッキリしてないとスタッフそれぞれがうろうろと歩いて結局どこにも辿り着けない作品が出来上がります。でも監督が「あの山(かっこいい系映像)に登りたーい!」と言う。そしてみんながそれに納得したらそちらに迎えるわけです。そのときにも監督からスタッフへの理由付けが必要になります。「こういうロケーション撮影がしたい!だってこういうシーンを描きたいから。視聴者にこれを分かってもらいたいから」などなど。そしてそういう目的意識が高いとですね次にスタッフからの提案がもらえるんです。「監督、かっこいい映像にしたかったらこういうアングルで撮影したらどうでしょう?」「こういう照明機材を使うといい感じにかっこよくなりますよ」とかとか。

そして技術屋たちも理由をつけます。「手持ちカメラで揺れながら撮影すれば、登場人物の不安を表現できます」「ロングで撮影すればこういう意味がつけれます」「この色を使えばこういうイメージになります」のように理由をつけて、つまり目的意識のある選択肢をみせてくれます。スタッフたちは一流であればあるほどそれぞれがいろんなスキルを持っていて、やれることの選択肢がたくさんになります。そのときに元々の作品の目的地がハッキリしてないとバラバラな技術の寄せ集めになります。それを1つの方向性に向けていくためにも色んな場面で「この方向に向かっているから、このやり方でいこう」という説明が必要になります。

逆に、どちらでもいいなって思うときにも理由があるとよいです。例えば「主人公のスーツの色は青と黒どっちがいい?」みたいな。「どっちでもいいじゃん、それでセリフが変わるわけでもないし」と思うかもしれませんが、そんなことはなく「青色なら若さを表現できる。黒色なら真面目さや落ち着きを表現できる」という理由がつけれます。「スーツだったら色はなんでもいい」という作品と「スーツの色にも理由をつけて演出の1つにする」作品のどちらがよいか。最初の明確な方向が決まっていればそれに則って小さなものごとの選択を決めることができ、それが小さな加点として作品全体のクオリティをあげていくことになるはずです。

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ここまでは明確なクオリティにつながる理由づけの話でした。もう1つ精神的な感じの話を。作品を作るときに理由を説明できずに「なんとなくこれで」となってしまっているのは自分の中で作りたいもののイメージがほわっとしているからです。まあ、最初はそうだと思います。みんなほわっとしてます。理由や理屈を考えてから作品作るを始める必要なく、理由は後付けでも全然いいです。というか大抵の人はそうだと思います。後付けで理由をつけるというのは自分の作品についてや自分の心の中をじっくり観察する行為です。なんで自分はこれを作りたいんだろうを考える行為です。これはやったほうがいいと思う。なんとなくで作っていくといつか作品が作れなくなります。「友達を笑わせたいから」とか「前回はこういうのを作ったから、今度はこういうのを作ってみよう」とかそういうのでいいから自分がなぜ作るのかは考えたほうがよいです。

そういう目的意識がしっかりしてないとですね、作品を誰かに見せたときにそれが上手くいったかどうかが分からないことになるんですよ。辛い料理を作って食べてもらって「辛い」って言われたら成功で、逆に「甘い」って言われたら失敗というのはわかると思います。でも自分で辛いか甘いかわかんない料理をつくったら「辛い」と「甘い」の感想たち全部が成功でも失敗でもないものになってしまう。どんな感想が返ってくるのかの実験だったらそれでもいいですが、そういうのばっか作っても作家としては前に進まないかな。すべてのことは次の作品作りに活かせばいいわけですが、そのためにはしっかりを感想を受け止めて反省をするためにも目的意識はしっかりしておいた方がよいでしょう。それが理由を考えることにつながると思います。

ま、ま、まあ、まあ、個人の感想です。いち意見です。

学校の先生に「これを作った理由を説明して」と言われてもね、たぶんやる気はでないと思いますが、将来仕事になったときにはクラアントやスタッフや自分に対していろんな場面で説明をしないといけなくなります。その練習だと思って、頑張って下さい。

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次回、「なんで理由付けができないか」「理由付けが出来るようになるトレーニング」「マスオさん、海に帰る」の3本です。来週も見てくださいね。じゃんけんぽん!うふふふ〜。