忙しいことを打ち上げで話してるのを想像する。

漫画も、アニメも、テレビゲームも、SNSも、ネットサーフィンも
ぜーんぶやらなかったら
制作時間は余るほどある。

分かってるんですけど。

こんにちは。3月です。暖かくなったと思ったら案の定寒いですね。

1月からずっと忙しいです。年度末ってどこも忙しいらしいんですが、映像業界とか広告業界も忙しくて、その流れでコマ撮り業界も忙しいみたい。ほかのコマ撮り関係者(そうだ、コマ友って呼ぼう)も忙しいって言ってたし、コマ友から仕事しませんかって依頼があったのを「スケジュールパンパンで無理です〜」っていくつか断ったくらい僕も忙しい。そんで僕に依頼してきたってことはそのコマ友もスケジュールがやばくて作ってくれる誰かを探してたってことだから、コマ業界もいま忙しいみたい。そしていまのところ4月末までたぶん忙しい。

これって、年度末で余った予算を使いたいからなんですかねー?わかんないですけど。でもたぶん、真面目なCMは年度のはじめの頃に作ってて、真面目なキャンペーンとかも終わって年末あたりに「ちょっといつもと違うことしようよ、なんかコマ撮りとかさ〜」みたいな会議がされたりするのかな。そんな感じで需要があればいいな。

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話を変えますか。

いまはやってませんが、昔やってた「忙しい時のストレス軽減法」の話。
仕事が忙しい最中に「いまやってる仕事の大変さを打ち上げで話しているのを想像する」というものです。
「あの仕事大変だったよなー。全然ねれなかったしー」みたいなことを友人に話しているのを想像するんです。

そうすると、忙しいという自分から少し離れるというか、自分ごとじゃなくなる。さらに打ち上げをしているっていうことは、その仕事は無事に終わってハッピーな状態になっているということで、成功の引き寄せの法則みたいに、仕事が上手く行ったんだっていう未来の自分を想像したことにつながって、やる気がでてくる。

もしくは取材バージョン
「仕事の大変さを情熱大陸で語っている自分を想像する」
情熱大陸じゃなくても、プロフェッショナルでもいいですけど。昔はトップランナーに出演するのとか夢でしたけど。

打ち上げは友人とか会社の上司とかを想像しますけど、フリーランスだとそういうのもないからね、取材を受けているのを想像しましょう。いかに作業が大変で徹夜をたくさんして、クライアントから無茶振りされたかというのをインタビュアーに語ったのちに「でも、あのときの大変さが、いまの自分を作ってるところがありますけどね・・・」みたいな(笑)

こちらは完璧に成功した自分を想像してます。

仕事の大変さって変わらないですが、気の持ちようというか、ストレスからちょっと自分の位置がずれるとそのストレスも減ると思うので。

この方法、昔やってたって言いましたが、最近やってないです。仕事が大変だってあまり思わなくなったので。大変だって思うことをやめるようにしたというか。もともとストレスがすごい嫌いで、ストレスを発散するということもできなくて、自分はどうしたかっていうと、ストレスを感じない努力というか、そもそも大変だろうがストレスだと思わないように気持ちを切り替え続けたというか。なので最近は忙しくてもそれをストレスに思わなくなってると思います。

そもそも好きなことを仕事にしてますから圧倒的にストレス少ない方ですけどね。でもこれもストレスから逃げた結果かもしれないな。やりたくない仕事をやらないですむように色々努力してるわけで。

「やりたいこと」タイプ or 「ありたいすがた」タイプ

12月30日です。寒いですね。マンションのエレベーターで乗り合わせたお婆さんと「寒いですねー」って会話してたら「でも、寒くないと正月っぽくないからねぇ」とおっしゃって、その捉え方はいいなぁと思いました。ネガティブなものでも「らしさ」で捉えるのはいいよね。

寒くならないと冬服のおしゃれできないしね!オコタの幸せを感じれないしね!

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新しいMacBook Proを買って2台になったわーと思ってたら古い方のMacBook Proが完璧に壊れました(笑)古い方の動きが遅すぎたのでディスクの初期化をしてOSを再インストールしようとしたら灰色画面から進まなくなってビープ音が「プープープー」ってずっと繰り返してる。アップルケアに電話したら「もう完璧な故障です。修理するしかないですが、そのMacBookはビンテージモデルなので部品がなく、修理対応できません」的なお返事。5年前のモデルがもう修理してもらえないのかー。まあパソコンなんてそんなもんか。
もともと1台でやってきたから支障はないはずなんだけど、2台あると思ったMacBookが1台になるとなんか心もとない。

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多くの人に読んでもらいたい記事があったので紹介。

「やりたいことなんかないけど、しあわせでいたい人の話」
http://dutoit6.com/183

元記事が消えたらいやだから覚え書き的に内容を書いておきます。

<記事内容のざっくりした説明>

「目標をもとう」ってよく言われるけど、やりたいことが無いという筆者が考え至った「やりたいこと」タイプの人と「ありたいすがた」タイプの人の話。

「やりたいこと」タイプの人は目標があってそこに向かっていることが幸せ。未来に向かう矢印のイメージ。
それに対して「ありたいすがた」タイプの人は「いまが満たされるのが幸せ」と思っている。その幸せの状態が未来までまっすぐ進む円柱のイメージ。
どこを幸せと思うかが違う。
そして「やりたいこと」タイプの人がする質問は「1:何がやりたいの?」「2:それはどうやったらできるの?」というものが多いけど、それは「ありたいすがた」タイプの人には通じなくで「???」となってしまう。やりたいことがないから。だけどその質問の前に「1:どういう状態だったら幸せなの?」「2:それはどうやったら満たせるの?(何がやりたいの?)」「3:それはどうやったら実現できるの?」という質問だったら答えられる。

これは「目標」というものをどう捉えるかという話になっていて、「やりたいこと」タイプの人にとっては目標はゴールそのものだけど、「ありたいすがた」タイプの人にとっては目標をもつことは「満たされること」のためのツールになっていると。

</記事内容のざっくりした説明>

【泰人はどちらなのか】
よい記事だと思いました。そして、自分は「ありたいすがた」タイプの人です。1年後とか10年後の目標を持つというのが生理的に無理。それよりも今日を心穏やかに過ごすことがすごく大事。そこから複合的に考えるようになって、「”やりたいことを目指す状態”というのに今なる」というのが大事なんじゃないかと思っています。未来のことを考えて目指すのですはなく、目指す状態をいま成り立たせる。いつかやろうと思っていたことを今日ちょっとだけやってしまう。考えの基準点は今日。という考えに最近なっております。

【外から見ると】
この記事のことをコーチングの越智さんに話したら、またちょっと違うことを話してくれたのでその紹介。
「ありたいすがた」タイプの人も現状が満たされると、やりたいことを自然と思いついてそれを実行しようとするそうです。例えば仕事がバタバタ大変で日常生活もおろそかになっていた人が仕事も落ち着いてきたら、新しい趣味を始めるとか。それで元気な様子になる。
でもそれは外から見たら(特に「やりたいこと」タイプの人から見たら)その人は「新しいやりたいことを見つけたから元気になった」と勘違いされてしまう。似ていることだけど微妙に違う。

【声の大きさ】
この記事を読んで最初に思ったのは「やりたいこと」タイプの意見が世の中に多いだろうってこと。「このタイプの人」が多いのではなく、「このタイプの意見」が多いってことね。このタイプの人は声が大きいと思います。実際の声ではなく、アピールをするという意味で声が大きい。目標を持とうって会社の同僚や後輩に言う、講演会をひらく、本を出版する。自分がそうやって生きてきたからそれが正しいって思ってる。それに対して「ありたいすがた」タイプの人は声が小さく、「私って普通と違うのかな?」とか思ってしまう。「ありたいすがた」タイプの意見は大きくは世に出てこないから「やりたいこと」タイプの人は自分と違うタイプの人がいるって気付けない。こういう実情とは違う、声の大きさのズレって実はけっこうあると思うのです。パーリーピーポーと読書好きの人ってどっちが多いかって数で測れないと思うけど、圧倒的にパーリーピーポーのほうが大きい声で騒いでて、世間でいうところの影響力が大きい。読書好きは声をださないから目立たず、世間への影響力が少ない。そういうときにパーリーピーポーは自分たちが多数だと思い、読書好きは自分たちは少数派だと思って過ごす。別にパーリーピーポーを批判するわけではないですが、どちらの人にもそういう思い込みがあって、世間が分断されていると思うのです。

だから、この記事を読んでまずは普段目標を持てないことに悶々としている「ありたいすがた」タイプの人々にこの記事を読んでほしいって思いました。でも次の瞬間に、むしろ「やりたいこと」タイプの人にこそこの記事を読んでもらいたい、と思い直しました。自分たちと違う考えの人がいるということに気づいてほしい。

【人とは分かり合えないかもという話】
PCMを勉強した時にも似たようなことを思いました。
PCMでは人の性格を6つのパーソナリティの組み合わせで説明をするんですが、根底のパーソナリティがどれかで生き方が全然違うんです。正確には組み合わせによるので6×5×4×3×2パターンとそれぞれのバランスによって違うんですが、大きく言えば根底の6つで違います。その6つの違いの説明をうけたときに最初は「こんなに考え方というか生き方が違うのか!これは分かり合えないわ!」って絶望しました。6つパーソナリティがあるってことは自分と違う6分の5の人とは考えが違うわけでその人たちと分かり合えないじゃん!って。さらに同じパーソナリティの人同士がうまくいかない場合というのを聞いて、6分の6と仲良くなれないのか!?って思いました。
「人はそれぞれ違う」という話はよく聞くし分かっているつもりでしたが、PCMでその違いが徹底的に解説されて、ヤバイって思いました。これはもう本当に分かり合えないじゃんって。

でも実際は自分と違うパーソナリティの人と友達になるし、恋人になる。自分と違うタイプだから仲良くなれるというのもよくある話ですよね。ここに気づいたときに、人間関係って面白いなーって思いました。自分と違うことを否定すればケンカになるけど、認め合えれれば仲良くなれる。

【この日記のモチベーション】
それで、この日記を書く動機の話になるんですが、もともとは自分の考えを書いて共感してくれる誰かが読んでくれたらいいかなって思ってたんですね。
だったんですが、PCMのときに6分の1の人にしか共感を得られないかも!?って思ったらこのブログを書く元気がなくなってしまったことがありました。6分の5の人には共感されない可能性に不安になったのです。でもそのあとに「共感できない人には、こういう考えをしている人もいますというお知らせ」として書くということでいいかなと思い直しました。読者に反対意見を持たれることは全然かまわないのですが、世の人たちが「自分の考えが絶対正しい、みんな自分と同じように考えているはずだ」と思い込むのはよくないなと思っています。なので反対の意見がある人には、こういう意見の人もいますアピールをしていこうかと。あ、できるならその反対意見も聞きたい。僕自身が自分の意見に凝り固まるのもイヤですし。

そして共感を得れる人には「だよねー、わかるわかるー」って言い合えれればいいかなと。そんな考えになりました。

ではではまた来年。

「永遠を求める人」と「速さを求める人」

今日は「永遠を求める人と速さを求める人」という話をします。人を2つのタイプに分ける話です。その他もいると思うのでこの2つにぱっきり割れるような分類の話ではないですが。

いままで仕事をしてきて永遠を求める人というのがいるなと最初に考えるようになりました。そしてその逆にあたる人ってなんだろうと思ったときに「速さを求める人」かなと思ったのです。対になる単語ではないですが。

先に断っておきますが、これはもう完全に独断と偏見です。偏見の話です。32年しか生きてなくてコマ撮りしかやってこなかった若造が言うことなので話半分に聞いてください。

5300字。

【永遠を求める人とは】
「永遠を求める人」とは簡単に言うと職人タイプの人です。「自分が作った作品がそのあと長いあいだ世に残る。作品が残らなくても、自分の技術が継承されていく。自分の名が後世まで残る」そういうのを望む人。例えば革職人とか木工職人とか。技術職も芸術家もそう。つまりはartistか。あとは科学者とか研究家みたいなのがそう。

【速さを求める人】
これに対して「速さを求める人」というのは言い換えると「新しさを求める人」です。新しさというのは最新のものだったり流行だったり。「新しさ」の価値は「速さ」かなと思ったので「速さを求める」と言ってみましたが、どちらでも良いです。これは、テレビや雑誌のマスコミとか広告代理店とかの人のことです。テレビ番組では新しいお店の紹介とか流行ファッションの紹介とかありますよね。そういうのは情報の鮮度が命なわけで、マスコミの人たちは常に新しいことを求めています。そういうものをひたすら追いかけている。

【広告の世界の速さを求める人】
広告にもそういうところがあって、流行りの芸人や俳優をCMに起用して話題になるように、とかを考えています。そしてCMに役者を使うときは使用期限があります。俳優との契約期間があってそれをすぎるとそのCMは放送できなくなります。役者さんからしてみると自分がずっと1つの商品のイメージがついてしまうと次の仕事が来なくなってしまうということもあるので、そうならないように契約期間があるわけです(逆に同じCMをやり続けてイメージを固めているタレントさんもいます)。つまり基本的にはCMはある一定期間しか見てもらえない映像なわけです。

そういう期限があることは当たり前といえばそうなのですが、自主制作したコマ撮りをYouTubeにアップしてきた僕からしたらその契約は思いもよらないものでした。だってYouTubeとかって永久に公開してられますからね。いつでも誰でも何年後でも誰かが再生してくれる。

それに対してCMはそうはいきません。その意味でCMは生物(なまもの)です。放送期間のあいだにヒットしないといけない。当然ですが放送するのにもお金がかかるので、CMをテレビで永遠に流し続けるわけにもいきません。「いつかヒットしたらいいな〜」なんて悠長な考えではいけないわけ「今ヒットするかどうか」が大事になる。そうなるとこのCMが今の時代にあっているか。世相や流行にマッチしているか、必死に考えます。

「速さ」の違う例としては新しい映像表現とか新しい技術とかも広告の人たちは常に求めています。プロジェクションマッピングが出てきたらそれでなにかできないかと考えたり、ドローンが出てきたらドローンで何か撮影できないかと思ったり、もうちょっと前のことならTwitterが流行りだしたらTwitterと連動したキャンペーンを考えて、Facebookが流行りだしたらFacebookと連動したキャンペーンを考えたり。
僕もよく言われます。「プロジェクションマッピングでコマ撮りできないですかね?」「ドローン使ってコマ撮りの面白い企画ないですかね?」みたいなことを広告関係のプロデューサーなどに聞かれます。すぐアイデアがでないのでいつも困るんですが、そもそも僕がそういう最新技術に飛びつこうという意欲がないことにしばらくして気づきました。僕は速さを求めない人のようです。

【確固たる何か】
速さを求める人たちは新しいものを使って何かをするかわりに1つのことをじっくりやろうという考えが薄いと思います(そうじゃないキャンペーンや、そうじゃない考え方の広告の人がいるのもわかってますが)。
「永遠を求める人」にはそういう「新しいもので今すぐに何かしよう!」という感覚があまりない。いますぐにヒットしなくても数年後に評価されれば良い。「ゴッホは自殺した後に評価されたわけで、さすがに自殺は嬉しくないけど、芸術ってそういうもんだったりするよね。だから良い作品を作っていればいつかはちゃんと評価されるはずだ。いますぐ評価されなくったって、俺はこれを作り続けるよ」それが永遠を考える人の思考パターンの1つ。

永遠を考える人はそういう長期的な目的があって、生涯をささげるものがあるので、自分の中に確固たる何かを持っている。他人には分かってもらえないかもしれないけど、自分にとっては大事な確固たる何か。そういうものがある人は自分というものがブレにくく、周りから言われた言葉で慌てたりしない。周りを気にせず一人でしっかりと立っていられる。究極、誰にも会わずに自宅でもくもくと自分の作業と向き合っているだけで生きていける。作品作りとか研究をずっとするだけで満足できる。それゆえに永遠を求める人はコミュニケーションをあまりとろうと思わない。

【コミュニケーション能力の必要性】
コミュニケーション能力があるのは速さを求める人たちです。広告代理店の人たちとかを見ると「コミュ力の塊か!?」と思うことがあります。そもそも仕事がそうだからね。メーカーなら商品は自分たちのものですが、広告の人たちにとっては商品は誰かが作ったものなので、クライアントとユーザーという他人と他人をつなぐのが広告の人たちの仕事です。彼らの仕事は確実に他人の為のものなので、常に相手のことを考えて生きています。
これまでに何度か代理店がクライアントにプレゼンするのに同席したことがあります(CMの映像監督はクライアントと直接やりとりしないことも多いです)。そのプレゼンの準備の様子を見ていると代理店の人たちはものすごい気を使っているのがわかります。資料の順番とか文章の言い回しとか、1つ1つがクライアントにちゃんと伝わるかどうか、変な誤解を生まないかどうかをすごく気にしている。「クライアントが納得しなかったらお金がもらえないから、必死になるのは当然だ」みたいな言い方もできますが、とにかく気を使いまくっています。そういうのを見て僕は「この企画は面白いから、そんなに心配しないでも分かってもらえると思うんだけどなー」みたいなのんきなことを思ってしまうのです。僕はプレゼンする気がないのか(笑)。

永遠を求める人、つまり確固たる何かが自分の中にある人は自分に自信がある。「良いものさえ作れば理解してもらえる」と思っている。確固たる何かを持つ人は一人きりでもやっていける。それに対して確固たる何かがない人は誰かと繋がってないと生きていけない。それゆえにコミュニケーション能力が高くなる。プレゼンの準備を見て、そんなことを考えました。

ここからさらに偏見を進めた話をします。

【社会をつくる人々】
永遠を求める人と速さを求める人、どちらが良い悪いではないと言いたいとこですが、社会というものを作っていくためには「速さを求める人」つまり「コミュ力で生きていく人」の方が大事だと思っています。永遠を求める人だけでは社会はつくられない。

学校のクラスがあったとして、その中に「永遠くん」と「速さくん」とその他のクラスメイトがいたとします。永遠くんは教室のすみっこで一人もくもくと革細工を作っています。そこにクラスメイトが1人やってきて「へぇ〜、この革細工、永遠くんが作ったの?すごいかっこいいね」なんて言ってくれて、永遠君はその一言で満足してまた自分の作業に篭れる。でもそれでおしまい。その革細工がクラスに広まることはない。
そこに「速さくん」がやってきて革細工を見たら「すげー!なにこの革細工!永遠くんが作ったの!?これ、すごくね!みんなー!これすごくない?これー!革細工だってー!まじかっけー!」ってお祭り騒ぎになってみんなに広まる。誰かがこういうことをしてくれない限り永遠くんの革細工は世に広まらない。
でも「速さくん」は飽きっぽいのでその革細工にすぐ飽きます。そしてとなりのクラスにいる銀細工職人くんをみつけて「なにこの銀細工!すげー!みんなー!銀細工だってー!みんなー!すごくなーい!?!?」となる。
永遠くんからしたら浮気者に見える速さくん。

でもその後に速さくんが二人のところにやってきてこう言ったりする「この革細工と銀細工をあわせたら、もっといいもんになるんじゃね?どう?どう?」こうして新しい作品が生まれる。人と人との橋渡しができるのが速さくんのすごいところ。社会は人と人のつながりでできているから、そのつながりを積極的に作ってくれるのが速さくん。
永遠君たちはもともと一人で生きていけてしまうから、コミュニケーション能力がひくい。日本中の職人の世界で後継者不足って話がでてるのもそう。自分がいい仕事さえしていれば周りからいつか評価されるし、ある日ひょっこり若者がやってきて「この作品に感動したんで、弟子にしてください!」って言ってくれるのが理想とか思ってるんですよ。そんなの来ないですよ。自分の技術を後世に残したいならリクルートちゃんとしなさいって言いたいけど、その能力はないんです。自分でできないならむしろ速さくんにお願いしたほうがいい。速さくんはつながりたがっているから。

【永遠を求める人の終わりなき旅】
求めるものが「永遠」と「速さ」それぞれありますが、どちらもゴールが存在しないんじゃないかと思います。

永遠を求めるというのは、その技術の向上だったりより良い作品を作ることだったりしますが、当然そこには終着点がないです。科学の歴史がずっと続いてきたことは分かりやすいと思いますが、1人の科学者の一生ではゴールにはたどり着かない。人類の歴史がつづくかぎり進み続ける。アートも同じで、1人の作家の中の成長も死ぬまで続くし、先人の作品を次の世代が受けて次の作品を作っていきます。道がひたすら繋がっていくだけ。

そもそも終着点があるなんて思ってない。いつまでも尽きない好奇心と探求心で生きていく。その道を進めば進むほどにやりたいこと・やるべきことは増えていく。故にこの生き方には退屈がなくなります。そのかわり満足感を得ることも少ないようです、残念ながら。「満足を得ることがあっても一瞬だ」と言う人が多い。でもその人たちはその道を生きて行く。そう決めているから。それが永遠を求める人。

ここらへんはショーペンハウアーの『幸福について 人生論』で苦痛の人生と退屈の人生の比較について書かれてますので読んでみてください。昔の本だし訳本なのですっごく読みにくいと思うけど、けっこう面白いです。

【速さを求める人の終わりなき努力】
速さを求めるというのは「他の人よりも速く」という意味があって、「アキレスと亀」のように、終わらない追いかけっこを無限にしているような印象があります。どこまで走っても、走り続けるだけでどこにも辿り着けないんじゃあ。

そしてメディアなどの情報を届けようとする類の仕事はどうしたって最速にはならないです。なぜなら情報を生み出すのは永遠くんの方だから。

「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」(アラン・カーティス・ケイ、パーソナルコンピューターという概念をつくった科学者)という言葉の通り、情報の最大の発信者は永遠くんです。

情報発信の本当の一番手は永遠くんです。速さくんはそこからもらった情報をクラスメイトに伝えるだけなのでどれだけがんばっても2番手にしかなれない。これは速さくん自身ではコントロールできないことなので、他の人を出し抜いて2番手になるために必死になるしかない。

僕からすると、そこに無理がたたってるような印象です。

【まとめないまとめ】
僕は永遠を求めるタイプというか永遠に憧れているタイプです。そもそもコマ撮りを選んだのも昔からある技術で普遍的な手法だと思ったのも1つの理由だと思います。自分にとっての新しい技術を身に付けたいとは思うけど、世間にとっての新しい技術に飛びつきたいとは思えないのです。

速さくんの満足感がどこにあるのか、僕はまだ知りません。自分はそちら側ではないと思っているので。一方的な考えなのでこの話は偏見なんです、すいません。

どの生き方にせよ答えなんてないんでしょう。そして人は完璧にどちらかに分かれるのではなく、この2種をどちらも持っていて、そのバランスの問題なんだと思います。永遠と速さの求めるバランスとか、こうなりたいというバランスと実行できるバランスがまた違うということもあるでしょう。

はい、あってるのことなのかどうかも分かりませんが、こんなことを考えましたという話でした。お粗末様でした。