ものを作るときの話」カテゴリーアーカイブ

僕も猫を助けたい。

先日、名古屋に仕事で行きました。出張ってやつです。
天気が良かったので家を出る前に洗濯物を干しました。
名古屋で打ち合わせをしてきて、夜になって新幹線で帰ってる時にツイッターを見たら、東京のみなさんがゲリラ豪雨に騒いでいて「しまったー洗濯物が出てるー」ってなったんですが、家に帰って洗濯物を触ってみると全然濡れてません。

自分の家のところだけ雨が降らなかったのか、
雨が降って濡れたけどまた乾いたのか。
どっちなのかわかりません。

こんにちは、泰人です。

「SAVE THE CATの法則」という本を読みました。脚本の書き方の本です。ハリウッドで売れっ子の脚本家の筆者がいろいろと書いてくれます。残念ながらこの著者の映画は見たことないですが。この人は脚本を競売にかけて映画会社に売るらしんだけど、脚本1本が100万ドルで売れたりしたんだって。すごいですよね。脚本家ってそんなに夢のある仕事なのか。

内容はですね、精神論的なものとか「良いストーリーを書こう」的なことは全然描かれておらず、主人公の見せ方とか、構成についてとか、なんというか売れてる映画に共通する”型”について教えてくれる本でした。各シーンに必要なページ数まで書いてある。

僕はすごい面白く読めました。ハリウッドの映画が世界でうけるのがよく分かる。こういうルールにのっとれば、誰にでも楽しめる作品になると思う。誰にでも伝わるやり方っていうのが延々書いてある。

それに対して日本の映画とか、最近僕が見たアニメとかはこのルールには全然あってないなーってことを思った。僕は好きだし日本でヒットしてるかもだし、オリジナリティがあるかもだけど、世界でヒットするとは思えないなー、その理由がこういうことかもなーって。
日本の作品てほとんどがそんな印象ですが。「日本のアニメ大好き!」っていう外人には受けても、世界中の人にうけるかっていうとやっぱ違うんだよね。

うん、でも逆にね、この本の通りに書こうとするとハリウッド映画によくあるやつになっちゃいそうなんですけどね。売れる作品を作ろうとするとそうなのかな。その上でオリジナリティとか発揮できればいいんだろうけど。

後半にでてくるアドバイスがすごいなって思った。「君は脚本を書き終えたばかりだろ?そしたら数日は遊んで、自分の脚本を読み返してみよう。どうだ、クソみたいな脚本だろ?」とか言い出して、なんでその脚本がつまらないものになってしまったのか、原因とその解決方法を書いてるんです。それがすごい的確なことを言ってると思うんだよ。ここに書かれているつまらない脚本の落とし穴はあるあるネタなんじゃ、ってくらい的を射ていると思う。脚本書いたことないけど。
僕は脚本に関する本を読んだのはこれが初めて。それで色々と紹介されているルールやテクニックが面白かったわけですけど、僕が面白いと思えたのは、僕がこの本を読む前にすでに作品を作っているし、こういうルールに縛られないで自分でお話を考えれるっていう思いがあるからかもな、って思った。やや他人事のように面白かった。

つまり、まだ脚本を書いてない人がこの本を読むと、ルールが多すぎて、ハリウッド脚本術養成ギプスをはめられて、がんじがらめになりそう。それは良くないと思う。このことはちょっと前に日記に書いたね。僕はそれを簡単に脱げるけど。

ものを作る時にハートとテクニックが要ると思うんですが、ハートを見つける前にテクニックを手にいれようとすると失敗する気がするんだよね。なんとなくですが。じゃあどうやって自分の中のハートを見つけるかって話になるけど、それの見つけ方はわかんないな。あー、間接的なやり方なら知ってる。こんど書こう。

ただねー、ネーミングセンスはすごい良いなーって思った。
題名の「SAVE THE CAT(猫を助けろ)」は脚本のルールの1つなんですけど「主人公は最初に子猫を助けろ」っていうルールなのね。観客に主人公はいいやつだって思わせるためなんだけど。いいやつだって思わせる以外にも共感をもたせようとか、主人公の見せ方について色々と猫以外の例についても書いてあるんだけど、それらのルールをひっくるめて「SAVE THE CATの法則」ってまとめて名付けてるところがすごい。なんか口に出して言いたくなる3単語。他にも「Pope in the Pool 」(プールのローマ教皇)っていうルールがあるけど、これも韻を踏んでる感じでかっこいい。こっちは「映画内で状況説明をどうやるか」ていうルールの話なんだけど。法則名と内容が一見ではつながらないけど、意味を知れば納得するし印象に残る名前だと思う。

この本を読んだ感想は、ネーミングセンス欲しいなーって思いました(笑)

あと、脚本書いてみたいなーとか、何か映画を見たいなーとか思いました。

アイデア出しは判断をしない、放置する。

アイデア出しの話をします。
これまでいくつかコマ撮りを作ってきて他の人から「よくそんなアイデアが出ますね」と言われることがあります。
うん、だって、必死こいて頑張ってるからね。
アイデア出しは訓練です。僕はコマ撮りのことをずっと考えているのでコマ撮りのアイデアはよくでます。逆にいわゆるムービーのアイデアは全然でません。そっちのアイデアの引き出しが全然ないことにある日気付いて、そのときに仕事用の名刺に「コマドリスト」をつけようと決めました。それまで名刺には「映像作家」と書かれていました。

訓練といいましたが、そもそもアイデアを出すということは誰にもできることだと思います。ずっと前ですがトラックの運ちゃんと話をしたときのことです。初対面だったのでお互いの自己紹介をして、僕がコマ撮りを作ってるという話になって、「どうやってアイデアを出すんですか」となってからの会話

た「ちっちゃなアイデアから徐々に膨らませていきますね。
まずはピーマンとかがコマ撮りでスーっと動くのを想像して
『あ、タイヤをつけたら車みたいだな』って考えます」
相手がトラック運転手なので車の例にしてみました。

運「そしたら大根にタイヤをつけたらトラックみたいですね」
た「あー、いいですね!ニンジンだとレーシングカーみたいに見えるかも」
運「なるほどー、いろんな野菜で車を作ったら、レースもできますね」
た「レースいいですね!」

こんな会話をしました。
僕が最初にピーマンが車みたいにできるって話をしたらその運ちゃんは大根がトラックになるというアイデアを出して、最後は野菜たちのカーレースという素晴らしいアイデアを出しました。
いま考えても野菜のカーレースはいいコマ撮りになると思う。野菜ごとに走り方とか得意技とか違うというネタも膨らむ。誰か作ってくれてもよいですよ。

こうやって促せば誰だってアイデアは出るはず。じゃあ、なんで運ちゃんはそのアイデアを普段は出さないかって言ったら、運ちゃんはコマ撮りを作ろうって思ってないから。当然ですね。作ろうって思わない限りアイデアはでない。普段、人は自分の考えていることにブレーキをかけています。

バイアスとかフィルターと言ったりしてもいいけど、人は自分の考えをある一定の方向に決めようとしている。そしてその方向にそぐわないアイデアは思いついた瞬間に否定して、思いついたことすら忘れてしまう。

さて、ここで1つの実験をしたい。ワークショップといいますか。いまから連想ゲームをします。
お題を1つ出すので、そこから連想するものを10個書き出してみてください。ただし「途中で思いついてしまったお題とは関係ないこと」も全部合わせて10個出してください。お題は「赤いもの」です。

 * * * 連想中 * * *

 * * * 連想中 * * *

10個出たでしょうか。途中で赤くないものを想像して笑っちゃったりして中断してませんか?関係ないものでもいいので10個出してください。
ちなみに今僕がやってみた結果は、
イチゴ・リンゴ・かぼちゃ・たまねぎ・ロケット・カラス・きりん・消化器・ポップコーン・洗濯機

赤いもの以外がかなり入ってますね。
かぼちゃとたまねぎはリンゴから食べ物の連想で思いついてしまって、そこで違うものを考えなきゃってなんて金属質なものを想像したらロケットを考えて、そこからフォルムがかっこいいカラスを想像してしまって動物つながりでキリンまででて、そこで一回軌道修正しようとしたら目の前に消化器のマークがあったので消化器を答えた後に、なぜかポップコーンと洗濯機という言葉を思いついてしまった。ほぼほぼ赤とは関係ない連想ゲームになってるし、最後2つが脈絡もなくなっています。

ここで普通の連想ゲームであれば(あ、かぼちゃは赤くないや。ロケットは赤とはかぎらないな)とか判断して「イチゴ・リンゴ・消化器」としか答えないですよね。
でもコマ撮りとかのアイデアであれば「赤いロケットはかっこいいな」と言って採用すればいいし、
「赤いカラス」もかっこいい。というか「赤いカラス」って最近のバンドの名前にありそう。何かのタイトルでもいいね。と思っていま検索したらなんか曲のタイトルでありますね。やっぱりあるか。赤いキリンというのもあるのか。ゆずだ。ま、曲じゃなくても映像作品のキャラとして赤いカラスもキリンもかっこいい。みたいにお題に対してまちがったアイデアも採用できるわけです。
むしろ自分で考えようとしなかったアイデアが出たりすることもあります。

お題に対してランダムに思いついた物の中からどれを採用するかは人それぞれだと思います。お笑い芸人だったら笑いのとれる答えを言うでしょう。芸人からしたら逆にイチゴやリンゴは普通すぎて思いついても言わないかも。小学生男子だったらとりあえず「うんこ!」っていうかも。かわいらしいアイドルをめざしている人は「イチゴ」しか言わないかもしれない。

どれを採用するかの判断をフィルターを通す作業だとしたら、アイデア出しのときは「正しいことを言う」というフィルターを一旦はずず。これがアイデア出しの最初の1歩だと思います。
当然、面白くないアイデアもどんどん出ますが、それが面白いかどうかの判断はもう少しあとにするべきでしょう。だって自分では普通に思えるアイデアも他の人からしたら素晴らしいかもしれないですし。

人が頭で考えていることって理性的なものだと思われてますが、このランダムな連想ゲームをしてみると、全然制御がきいてない暴走状態だなってのが実感できます。思いつきたいことと全然ちがうことを発想してしまう。むしろ考えたくないことも勝手に考えてしまう。普段はその暴れ馬の手綱をちゃんと持ってないといけないですが、アイデア出しの時とかは手綱をゆるめるのも大事かなって思ってます。

それでどうするかっていうと、出てきたアイデアは一旦全部OKにしてメモって、次のアイデアがでてくるのをまた待つ。1つ出てきたものから連想して次のアイデアがでたとき、最初のお題と違うものでもOKにしてメモする。それを繰り返しているうちに「これだ!」っていうアイデアが出てくるものです。

とかそんなことを考えていたらですね、瞑想の本に「頭に思いついたことを1つ1つ判断せず、横に置いておく」って書いてあったり、昨日の日記に書きましたが、目の前のことに善悪の判断をしないで観察をつづける、みたいなことが出てきて、違うことだけど共通の要素があるなって思ったのです。
世の中違う分野で同じ真理を得ることがあると思うのですが、そんな感覚になったのです。

というわけで、まとめ。
判断をしない。放置する。
です。

ハウツー本はどうでもよい時に役に立つ

『荒木飛呂彦の漫画術』という本をお勧めしたい。

ジョジョの荒木先生が書いた本ですが、どういう考えで漫画を作っているかが事細かに書いてあります。めちゃくちゃ良かったです。キャラクター作りとストーリー作りについてもしっかり描かれているので映画とか小説とかを作る人にもオススメ。そういうの以外でも自分で何かを作ろうと思っている人は読んだらいい。プロはそこまで考えて作っているのか!!と度肝を抜かれます。荒木先生の意識の高さにビビると思う。

この本のいいところをあげようと思ったらすべてのページを引用しかねないので、やめときます。読んで。ジョジョを読んでなくったって読んで。

で、学生さんたちに向けてアドバイスをしたい。
こういうハウツー本を見るのを敬遠する人いませんか。「影響を受けすぎるのが怖いから」と言って。たしかに、こういう本のやり方を読んでそれに縛られてしまうことってあります。絶対にこうやらなきゃいけないんだ!って思い込んでしまう。それは良くないなーって個人的には思います。映像制作だとストーリーを決めるのにもテーマとか考えさせられたり、撮影の前にコンテを書くのが絶対みたいに言われるけど、コンテとかなくっても作れるしね。一人で作る時はむしろコンテを作るのに時間かけても意味ないこともありますし。

本当のところを言えばものの作り方というのは人それぞれなんですよ。各作家が自分にあった作り方を見つけるのが一番いいんです。なぜいいかと言えばそれは自分自身にストレスを与えないことで、長い期間ものづくりが続けれるからです。そういった意味で効率がよいんです。

それで、自分にはどんな作り方が向いているのか、これを言語化することは大変難しいですが、体感としてはみんなあるはずなんです。そういうのをなんとなくでもいいので自分で見つける前につくり方の本を読むと、それに縛られてしまうことがあります。それは危険な気がする。だから僕としてはオススメなのは2〜3作品くらい作ってから読むこと。そうすると、本の内容に対しての良し悪しを判断できます。「あ、このやり方のほうがいいじゃん、自分がやってたのってなんてバカだったんだろう」と思ってそのやり方を採用することは当然あるでしょう。それは失敗を経験しているからその本のやり方の価値が分かるようになったわけで、大きなプラスだと思います。逆に「この本ではこういってるけど、これは自分にはあわないな」と思って拒否するのも全然いいです。効率の良さ以外に自分の感覚にあっているかどうかはとても大事な判断基準です。そしてそういう肌感覚みたいなものは一度は自分で作っているからこそできる判断なのです。

なのでまだ1つも作ったことがない人には、本を読む前に、非効率的でもいいしメチャクチャでもいいので1つは作ってからハウツー本を読んでほしいと思っています。
始める前に読んでしまって、考え方をがんじがらめにしてしまった人が知り合いにいたのです。最終的にその人は「つくり方のルールに縛られなくってもいいじゃん」って気付けたんですが。

さて、続き。いくつか作品を作ってきた上で「本の影響を受けるのが怖い」と思っている人へ。
読んでも大丈夫ですということを言いたい。がんじがらめになってしまうパターンでなければ、こういう本に書いていあるテクニックというのは(変な言い方になりますが)どうでもよい時に役に立ちます。
これは芸術家・作家などの場合ですが、その人がどうしても作りたい作品があったとき、描きたいストーリーとかイラストとかがあったとき、ハウツー本に書いてあることは全然意識されません。「だって私はこれを描きたいんだもん!」と言って作りましょう。
そうでなくて、たとえばイラストを例にすると「メインのキャラの色はできたけど、こっちのキャラの色どうしようかなー」ってなったときに補色の関係のことを思い出して「あ、じゃあメインキャラと逆の色にしたら目立つかな」って感じ決めれたりします。自分の情熱で決めれないときに、知識でものごとを決定できるのです。
あと決定をしたものに不安がちょっとあったときに「この色は暖色系のいろだからここにはあってるんだよね」とか根拠を補強できます。

自分の決定に情熱があるときは「これは理屈で言ったらダメだけど、あえてこっちをしたいんだ!」と思ってる時は知識はどっかに捨てたらいいんです。作った後にそれが良かったかダメだったかがわかるでしょう。

これは芸術作品みたいなときの話ですけどね。
デザイナーとか仕事の話になってくると、他人にどう伝わるかが大事になってくるからハウツー本に書かれた知識はより大事になると思います。それでも個人の感覚を信じて作ったらいいと思っていますが。

というわけで、本とかはちょっと作ってから読んだらいいと思ってます。