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理由付けができるようになるトレーニング

前回の日記で理由付けの必要性みたいのを色々と書きましたが、今日はそのつづきです。

理由付けができる能力というのは感性というよりも言語能力です。必要なのは感性ではなく賢さです。なのでアートをしたい人には苦手だと思います。でもですね、理由をつけれる人の方がいい作品をつくれるもんです。それを今日は語ります。

なぜ理由がつけれないのか。どうやって理由をつけれるようになるのか。

理由がつけれないことの大きな原因に「選択肢の中から選んでいないから」があります。たとえばイラストを描きたいときに中学とか高校の頃にPainterやsaiとかのペイントソフトをはじめて知って、それ以来ずっとそれで描いてきた人に「なんでペイントソフトで描いてるの?」と聞いても「いや、これでずっと描いてきたから」としか言えません。でも水彩画や油絵や色鉛筆を一通り触った上でデジタルツールを使ったとしたら「これにはこういう特性があって、こういうのに向いているから使っている」と理由が説明できます。それぞれの長所と短所を分かった上でツールを選ぶ。そうすれば、選んだツールの特性に合わせて絵の内容も変えれたりして、作品はさらに力を増すでしょう。

でも自分が選択肢を1つしかしらなかったら、そのツールがもつ長所も理解しきれません。そのツールを使ってる理由も説明できません。だから、自分がやろうと思っていること以外の選択肢を知っておけ、という話です。

実際に自分で作れるのなら、1度は手を出しておくべき。映画とかだとそう簡単には作れないから、他人の作品を多く見ておくということ。

コマ撮りを作るならコマ撮りだけでなく、実写映像と3DCGのアニメーションとどう違うのか、それぞれ何が得意で苦手なのかを考えます。

いろいろな画材を使えるようにするのは自分の武器を増やすという形だし、コマ撮りに対して実写や3DCGを見るのならライバルについて知るという形になりますが、どちらも多くある選択肢を認識した上で自分がどれを選ぶかということです。

理由を言えないのはこの選択肢の多さを認識してないからです。いまは技術的な例えでしたが、かっこいい or かわいい、テンポがいい映像 or スローな映像、日本的 or 欧米的、とかとか作品の方向性や演出にだって多種多様な選択肢があるんです。それを認識しておこうということ。

単純な言い方ですれば、知識と経験が少ないのが理由付けが苦手な原因ですね。知識と経験があれば、そこからいろんな理屈をこねれるようになります。

とは言っても作品を作るときは理屈よりも思いつきがきっかけだし、最初からわりと完成形のイメージが出てしまうでしょう。そんなときも「こうではなく、こっちにしたらどうなるか」を考えるといいです。そして一人で考えるだけでなくその別案を友達に聞いてみるといい。「そっちがいいね」と言われたらそこには何かがプラスな理由があるわけで、そのプラスの要素が作品全体の方向性とあっているかどうかを考えるきっかけになります。そして「変えない方がいい」と言われた場合も同様で、変更したら何かマイナスがあるから変えない方がいいとわけで、作品全体の方向性と何がずれていたのかを考えるきっかけになります。

だから自ら選択肢を一度増やすことを考えるべきです。もしもキャラクタの性格が違ったら、あるいはキャラの性別も違ったら、この形が違ったら、色が違ったら、アングルが違ったら、たらたらたら。プロはそういう他の可能性について真剣に考えます。打ち合わせのときに他の可能性をあげまくります。そして散々話し合ったあげくに「やっぱ、最初のがいいね」となることだって頻繁にありますが、そのときには「なぜこれがいいか」をしっかり言えるようになっているわけです。「他ではなくてこれがいいんだ」と言うために他を考えておくということです。

というわけで選択肢をいろいろと知っておくのが理由付けができるようになる方法だと思うのですが、それとは別で友人から聞いたトレーニングを紹介。それは

「好きな作品の好きな理由を説明する」

これですね。まさにそうだと思う。なぜそれがいいのか理由を考えていれば、自分の作品のときも理由を思いつけれるようになると思います。あとこれ文章にした方がいいと思います。日記とかレポートみたいにかな。文字にするいうのはぼんやりしたイメージに明確な形を与える行為なので。自分の考えがはっきりしてくると思います。また理由付けは他人に話すことなので、言葉で納得してもらわないといけないので、あらかじめ言葉でトレーニングするのは有効です。

逆に「つまらないと思った作品のつまらない理由を説明する。自分だったらどうするかを考える」も有効だと思います。これはこれで面白い。

まとめた結論を言うと「感性だとか直感だとか、ぼんやりした思いで作品を作ってる場合じゃない!いろいろと考えなさい!」ということだと思います。

お互い、がんばりましょう。

作品に理由付けが必要なわけ

はい、こんにちは。泰人です。

先週の火曜日に静岡産業大学にお邪魔しまして特別講義というのをしてきました。自分の学生時代からいまの仕事に繋がるまでを喋ってきました。その後に学生さんから出た相談がこちら。

「作品を作るときに先生から理由を説明しろといわれて困っています」

ありますよねー、おそらく多くの学生さんが悩んでいることなんではないでしょうか。理由をいろいろと説明するの難しいし嫌ですよね。「面白いと思ったから作った」以外に語りたくないですよね。芸工大の卒業制作にも論文をつけないといけませんでした。そして申し訳ないですが僕はそこから逃げました。『オオカミとブタ』は卒業制作ではなく完全な趣味として作ったものです。論文が嫌だったのでプログラミングが専門のゼミに入りました。C言語を使ってPhotoshopのフィルタを自作するみたいなことです。そっちはアルゴリズムの解説をしたら論文としてOKだったのである意味で楽でした。逃げただけじゃなくて前向きな理由を言えば「卒業をしたらプログラミングなんて勉強しないだろうからここで一回勉強しておこう」というのもありました。

さてさてそれで働き始めて6年くらいたちますが、だんだん理由付けについてわかってきたので「理由付けが必要なわけ」と「理由付けが出来るようになるトレーニング」を書こうと思います。

まずは「理由付けが必要なわけ」から。

学校の課題では理由を求められると思いますが、働き始めたらもっと理由を求められます。2つの方向から求められます。1つめはクライアントに説明する理由。CMをつくるとしたら「かわいいCM」を作るのか「かっこいいCM」を作るのか、どちらがより良いのかをクライアントにプレゼンで説明しないといけないわけです。この場合「商品がかわいいので女性にうけるようにかわいいCMにしましょう」と言ったり「御社はこれまでかわいいCMだったから、ここでかっこいいCMにして新しいユーザーを獲得しましょう」でもなんでも。(こういうことを考えるのは基本的に広告代理店の役目です)その理由とかCMを作った効果を理解してもらわないとクライアントはお金をだしてくれないわけです。「なんとなくいいCM作ってくるんでお金ください!」と言っても予算はおりません。

僕の場合ですと「コマ数は10fpsか8fpsがいいと思います。なめらかに動きつつもコマ撮りらしいカクカクした動きになるのでアナログ感とか手作り感を表現できます」みたいなことを言います。

そして理由が必要になるもう1つの方向が、スタッフに向けての理由です。監督というのは英語でDirectorですが、これには道案内人という意味があります。映像を作るときには監督以外にカメラマン・照明マン・美術・スタイリスト・メイクさんなどなどいろんなスタッフがいて協力しあっていくわけですが、これを山の中を進む団体だとしたら、監督が「あのかっこいい山をめざそう!」と言わないとみんなで迷子になるわけです。目的地がハッキリしてないとスタッフそれぞれがうろうろと歩いて結局どこにも辿り着けない作品が出来上がります。でも監督が「あの山(かっこいい系映像)に登りたーい!」と言う。そしてみんながそれに納得したらそちらに迎えるわけです。そのときにも監督からスタッフへの理由付けが必要になります。「こういうロケーション撮影がしたい!だってこういうシーンを描きたいから。視聴者にこれを分かってもらいたいから」などなど。そしてそういう目的意識が高いとですね次にスタッフからの提案がもらえるんです。「監督、かっこいい映像にしたかったらこういうアングルで撮影したらどうでしょう?」「こういう照明機材を使うといい感じにかっこよくなりますよ」とかとか。

そして技術屋たちも理由をつけます。「手持ちカメラで揺れながら撮影すれば、登場人物の不安を表現できます」「ロングで撮影すればこういう意味がつけれます」「この色を使えばこういうイメージになります」のように理由をつけて、つまり目的意識のある選択肢をみせてくれます。スタッフたちは一流であればあるほどそれぞれがいろんなスキルを持っていて、やれることの選択肢がたくさんになります。そのときに元々の作品の目的地がハッキリしてないとバラバラな技術の寄せ集めになります。それを1つの方向性に向けていくためにも色んな場面で「この方向に向かっているから、このやり方でいこう」という説明が必要になります。

逆に、どちらでもいいなって思うときにも理由があるとよいです。例えば「主人公のスーツの色は青と黒どっちがいい?」みたいな。「どっちでもいいじゃん、それでセリフが変わるわけでもないし」と思うかもしれませんが、そんなことはなく「青色なら若さを表現できる。黒色なら真面目さや落ち着きを表現できる」という理由がつけれます。「スーツだったら色はなんでもいい」という作品と「スーツの色にも理由をつけて演出の1つにする」作品のどちらがよいか。最初の明確な方向が決まっていればそれに則って小さなものごとの選択を決めることができ、それが小さな加点として作品全体のクオリティをあげていくことになるはずです。

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ここまでは明確なクオリティにつながる理由づけの話でした。もう1つ精神的な感じの話を。作品を作るときに理由を説明できずに「なんとなくこれで」となってしまっているのは自分の中で作りたいもののイメージがほわっとしているからです。まあ、最初はそうだと思います。みんなほわっとしてます。理由や理屈を考えてから作品作るを始める必要なく、理由は後付けでも全然いいです。というか大抵の人はそうだと思います。後付けで理由をつけるというのは自分の作品についてや自分の心の中をじっくり観察する行為です。なんで自分はこれを作りたいんだろうを考える行為です。これはやったほうがいいと思う。なんとなくで作っていくといつか作品が作れなくなります。「友達を笑わせたいから」とか「前回はこういうのを作ったから、今度はこういうのを作ってみよう」とかそういうのでいいから自分がなぜ作るのかは考えたほうがよいです。

そういう目的意識がしっかりしてないとですね、作品を誰かに見せたときにそれが上手くいったかどうかが分からないことになるんですよ。辛い料理を作って食べてもらって「辛い」って言われたら成功で、逆に「甘い」って言われたら失敗というのはわかると思います。でも自分で辛いか甘いかわかんない料理をつくったら「辛い」と「甘い」の感想たち全部が成功でも失敗でもないものになってしまう。どんな感想が返ってくるのかの実験だったらそれでもいいですが、そういうのばっか作っても作家としては前に進まないかな。すべてのことは次の作品作りに活かせばいいわけですが、そのためにはしっかりを感想を受け止めて反省をするためにも目的意識はしっかりしておいた方がよいでしょう。それが理由を考えることにつながると思います。

ま、ま、まあ、まあ、個人の感想です。いち意見です。

学校の先生に「これを作った理由を説明して」と言われてもね、たぶんやる気はでないと思いますが、将来仕事になったときにはクラアントやスタッフや自分に対していろんな場面で説明をしないといけなくなります。その練習だと思って、頑張って下さい。

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次回、「なんで理由付けができないか」「理由付けが出来るようになるトレーニング」「マスオさん、海に帰る」の3本です。来週も見てくださいね。じゃんけんぽん!うふふふ〜。

いい作品を作っている人ほどいい人

前回の利他的について関連した話を思い出したのでまずそれを。

詳しくは知らないのですが友人から聞いた話。

CGの仕事をしている人がハリウッドにいってきて爆発のCGを勉強して日本に帰ってきたそうです。その人が勉強してきたやり方は日本ではまだ知られていなかったので、その技術を独占して仕事をするだろうとまわりは思ったのですが、なんとその人は爆発エフェクトの講習会を開いたそうです。自分だけが持っている技術をみんなに教えてしまったのです。だからその人の仕事は増えないだろうと思ったら逆に爆発エフェクトの仕事がたくさん来るようになったそうです。なぜならその講習会をうけた人たちが「爆発ならあの人だよ」と仕事を回してくれたから。講習会を開くことでその人は爆発エフェクトの第一人者になってしまったのです。その結果、仕事が増えた。

もちろん海外にいって勉強してきたことが大事なわけですが、これも利他的な行動が結果的に自分を助けた例でしょう。かつ、講習会を開くことが自分の営業になっていたわけです。もし自分の技術を誰にも教えなかったら、自分の存在をどこまで広くアピールできるでしょうか。講習会を受けた受講者たちは後に「この人から教えてもらった」と同業者に言うことでしょう。しかも「講習会を開いたいい人」として伝わっていくでしょう。これが他人を営業マンにするやり方であり、利他的な生存戦略の一例だと思うのです。

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 い い 人 の 続 き

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今日は「いい人」について前回とは違う視点で話します。

芸工大と武蔵美を出て、それぞれで卒業制作展を見てきて、そのあとフリーランスになってコマ撮りやイラストアニメの作家たちと友達になって分かってきたことがあります。それは

「いい作品を作っている人ほどいい人」だということ。まちがいないです。

卒業制作でいい作品を作った人は、卒業後は作家になるなり、自分が目指した方面の会社に就職してます。

それに対してたまに(ちょくちょく?)いるのが「お前の4年間はただの思い出づくりなのか?」と言いたくなるような微妙な卒業制作。そういうのを作った人はどういう人かというと、簡単に言って不真面目で、卒業後は自分が勉強してきたこととは全く関係ない会社とかに就職します。

芸術もスポーツと同じと思ったらわかりやすいですよ。プレイがうまい人は練習をちゃんとしてる人です。練習をちゃんとしている人は真面目な人です。真面目な人はプレイがうまいです。(才能についてはよく知りません)

他に類を見ないセンスの作品をみて「ぶっ飛んでるなー、作者は天才だなー」って思って、その後に作者に会ってしゃべってみると、どの人もむちゃくちゃ色んなことを考えていることを知ります。「なんとなく作ったらヒットしたんですよー」という人はいない。そんな漫画にでてくるような天才はいない。ユニークな作品を作る人でも「いまの世の中こうこうこうだから、こういう作品が大事じゃないかと思うんすよ~」みたいなことを語ったりします。単純な感想ですが「あー、色々と考えて作ってるんだな」と思わされる。ナンセンスなギャグとか、グロテスクとか、そういう作品の作者もしゃべってみると常識人だったりします。

それは、真面目に作品を作っていれば、作品に対して真摯に接していれば、自ずと自分について・他人について・世間についてを考えざるをえないからです。そして謙虚さとかが出てきます。

アートだろうが、仕事だろうが同じだと思いますが、真剣にやろうと思えば思うほど、考えることは増えていって、結果的に独りよがりではいられなくなり、いい人になっていきます。逆に不真面目な人は自分の心に向かう眼差しも不真面目なので、作っているものもテーマがごちゃごちゃしてたりブレてたりして、ふわっとした中途半端な作品を作りがち。

つまり「いい作品を作っている人ほどいい人」なわけです。いい作品というのは技術のあるなしとは関係なくね。拙くてもいい作品は心を打ちます。

これは、理屈で考えたというか観察の結果です。僕の周りの人たちはいい人が多くて、いい作品を作っていて、全員が順調に仕事をもらっています。「仕事がなくて困ってるんですよ」って相談してきた友人も何人かいましたが、結局彼らも売れました。結果論かもしれませんが、僕は彼らの作品が好きだったので、(やっぱりいい作品を作ってれば売れるわなー)くらいに思ってました。足りなかったのは世間に認知される時間だけだったと思います。あ、そうなると営業が大事って話になるけど、それは、まあ各自でがんばってください。 やり方はよくわからないのです。

はい、というわけで「いい人は仕事がくる」なんてアドバイスにも何にもならない話になってしましました。こんなことをリーダーミーティングで話したわけですが、その後に「じゃあ、どうやったらいい人になれるんだろうか」と悩みました。それで考えたことが次のテーマ。

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どうやって「いい人」になるか

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一応ね、方法を考えましたよ。これもよく言われていることかも知れませんが「今やっている仕事を好きになる」ですね。案件の内容そのもを好きになるか、その仕事を持ってきてくれた人を好きになるか、クライアントを好きになるか、その先のユーザーを好きになるか。どれかでよいです。

好きというのは大事です。そこからやる気が生まれます。やる気があると、アイデアがどんどん出てくるし、クオリティもあがります。何か問題が起きた時にもやる気があるとすぐに解決策を思いつけます。むしろその問題がきっかけで以前よりもいいものが作れたりします。ピンチがチャンスになります。やる気があれば。

でもやる気がないと、問題が起きたときに解決策は思いつきません。「あー、どうしよっかなー」と言って終わってしまいます。解決策が出ないままズルズルとすすんでクオリティは落ちていきます。

やる気の出し方は直接的でなくてもいいです。案件そのもが好きじゃなくても、例えば一緒に仕事をしている人・クライアント・ユーザーのことが好きだったら「この人のためにがんばろう」「この人に嫌われないように作業しよう」と思えます。もし何かのCMの仕事で、自分はその商品を使ったことがないし好きでもなんでもないときに、友人が「この商品いいよね」とか言ってるのを聞いて(へぇー、これ使ってる人いるんだな、このCM作ってることを友人に話したらおどろくな)とか思うだけでもやる気になったりします。

仕事が好きなればやる気がでるし、仕事に対して真摯になれるし、傲らず、いい人になれると思います。どうしても好きになれない仕事をやっていると、やる気がないのって態度に出てしまって周りに嫌われるし、出来上がったものにもやる気のなさがにじみ出ます。バレます。次の仕事は来ません。

なのでアドバイスとして言うならば「その仕事のどこか1部でもいいから好きになること。仕事内容や仕事の相手に対して真面目に接して、やる気を出すこと。そうやっていい人になること」と言えそうです。

そしてそして、わがままな提案をいうなら、「いい人でいつづける為に、好きな仕事だけを選ぶ」という真逆のようなやり方もあるかもしれません。

うーん、どうかな。これはいい方法かな。正直なことを言うと僕が若干この戦略をとっているところがあります。仕事を断らないことがいい人だとは思ってません。みんなもっと嫌な仕事は断ればいいと思ってます。

「どんな仕事でも断りません!」って言ってうまく成長していく人もいますが、僕はちょっと出来ないんですよね。この差が何かはなんとなく分かっているんですが、語るのはまだかな。

話がずれそう。いい人については取り敢えずこれで全部かな。前回も今回も3000字を超えてる、疲れた、寝よう。