殻やぶる?壁越える?そ・れ・と・も・ハードル越えたい?

言葉が好きだもんだから同じことでもこの言い方よりもこっちの言い方の方が好きっていうのがちょいちょいある。

ゲスの極み乙女の『私以外私じゃないの』というのも上手い言い回しだなと思った。「あなたはオンリーワン」と言っていることは同じなんだけど、こう言われて「あー、そうだよなー」ってなんか納得できた。逆に「世界にひとつだけの花」って言われても全然ピンとこない。

この間書いた「物に対するコミュニケーション能力」もそんな感じだと思うんだけど、同じものごとでもその言い方を変えることで受け入れられるかどうかって決まる気がするんだよね。だから自分で納得する言い方というのを探しているところがあります。

言葉以外にもさ、なんだろ、科学と宗教とかも僕にとってはそんな関係に見えるのです。

風水の中に「玄関と奥の部屋の窓が一直線になっている家は気の流れが悪くなる。なぜなら龍はうねりながら進むから。一直線の家は龍が通りづらい」というのがあるんですが、これって科学的に言うと奥の部屋の窓と玄関がまっすぐになっていると風がその一直線にしか通らずに部屋の隅の空気がこもりやすいっていうのがあるのね。すこし曲がっているとか、途中に物があって風が回り込むように流れると部屋の隅の空気も一緒に動くから。そんで、空気がこもるとカビが生えてその家の人が病気になるっていうことにつながるわけ。でもそんな気流の力学と免疫学についての話をされなくっても、昔の人たちは「確かに龍はくねくね進むからな」って感じでその説明を納得して風水を実践していたわけで。

西洋医学と東洋医学でいうと、いま断然に東洋医学の考え方の方が好きになってしまった。西洋医学って原因を解明しようとして細胞を切り刻んで顕微鏡を覗いていろんな物質を発見しているけど、それは直接の解決になってないように見えるんだよね、わるいんだけど。だって疲労の原因だってさんざん言われてた乳酸が、疲労物質じゃないらしいってつい最近言われたじゃん。なんじゃそりゃって思ったよ。コーヒーとかもさ体に悪いとかガンが治るとか良い悪いがひっくり返りまくりだし。僕も科学大好きっ子ですから、そういう研究とか好きだし、大いに進めるべきだと思うけど、健康を手に入れたかったら現段階では直観的な因果関係を見ている東洋医学の方が優秀なんじゃないかなって思う。これ食べたら治ったからこれ食べとけ、みたいな感じ。すごい雑に言っちゃったけど(笑)あと気・血・水っていう概念で健康や病気をとらえるんだけど、それもなんというか合理的なものに見えるんだよね。逆に西洋医学は終わらない回り道をしているように見える。そこから得るものがたくさんあるし、病気を治しているのは知ってるけど。

あー、いっこ思い出した。たぶん4年くらい前なんだけど「赤ちゃんも頭がいいんです」みたいな論文がでたんですよ。webで紹介されていたものだけど。赤ちゃんっていうのが何歳のことをさしていたのかわかんないけど、おそらくしゃべりだす前だろうから、0~2歳くらいかな。実験でね、赤ちゃんにテレビ番組を見せるんですが、普通に見せてるとみんなテレビを眺めているんだけど、ある番組を前半と後半を入れ替えて見せると、とたんに興味がなくなるっていう実験結果があったんですよ。つまりその番組は後半から始まって、ある瞬間に突然前半に戻るので話が繋がらなくなる。それをぼーっとみてた赤ちゃんたちは話が繋がらなくなった時点でテレビを見るのをやめったという。この実験で科学者さんは「この赤ん坊はテレビの内容をちゃんと把握しているんだ!」って論文を発表したわけです。そのweb記事を読んだ後に、1歳くらいになる子供がいる女友達と会ったのでその話をしたら「うん、赤ちゃんはちゃんとこっちの話とかわかっているよ」って言われまして。そのときの彼女の反応は「なに今更そんなこと実験してんの?わかってることじゃん」って感じだったんです。

僕にはまだ子供がいないので、外野から思ったことですけど、世のお母さんたちが既にわかっていることを科学者たち(たぶん男性でしょう)は一生懸命に実験して確かめないと理解できないんだなって。なんだろう、オーバーに言えば、学者が哀れに見えたというか。そんなことを思ったんです。

うーん、また話が変わってしまったか?いや、物事を理解するのに科学を用いるか、経験と直感を用いるか、宗教を用いるか、好きなのを選びんしゃいっていう話だと思う。

それと言葉の話も、言い方によって受け取れるかどうかっていうのがあると思っていて、世の中にすでにさんざん言われていることでも自分なりに違う言い回しを見つけたら無重力で書いていきたいと思っているのですという表明なのです。