未来×愛×タイムパラドックスで1200万パワーだ!!

映画『LOOPER』を見ました。堤くんに勧められたんです。映画監督の堤くん。堤幸彦さんではないです。大学の後輩で映画監督をしている堤真矢くん。

http://ticktackmovie.net

彼がスターウォーズが大好きでして、何度か飲みの席で彼からスターウォーズ講習を受けてるんです。「何度か」っていうか「何度も」かな。あと『猿の惑星シリーズ』とドラマ『LOST』の講習もうけたことがあるなー、すべてのエピソードを語ってもらったことがあります(笑)。それで今度のスターウォーズエピソード8の監督がLOOPERの監督だってことで、僕がSF好きなのもあっておすすめされました。

なので本日はLOOPERについて、ネタバレをちょっとふくむ感じで。
あー、と言っても知り合いに話す感じでやりたいから、オチとかどんでん返しについては話さないやりかたにしたいかな。できれば無重力日記を読んだ誰かがその作品を見て、楽しんでもらえたらいいなと思っている。ちなみに僕はネタバレが嫌いなタイプでして、オススメはタイトルだけ聞いて前情報を一切いれずにストーリー展開に心底おどろきながら楽しみたいタイプです。

かなり面白かったです。
時代設定が2044年で、近未来で、服とか生活とかは全然いまと同じで、車はいまとちょっとデザインが違うものが走っているだけで、空飛ぶバイクが金持ちの自慢のアイテム。信号機の赤と緑の光がホログラムのように光っているという、見た目としてはバイクと信号機の2つくらいしか未来らしい未来ではないというのもいい感じ。信号機は背景にかろうじて見える程度しかないし空飛ぶバイクも1台しか出てこないし。
そしてファッションについては「おまえらは古い映画の真似ばっかして、その首にかかっているヒモ(ネクタイ)をやめろ。もっと首の周りを光らせるとか、全部ゴム製にするとかしろ!」みたいなことを劇中に言うんですが、これはメタ的な発言に聞こえて笑えるし、2044年の人々の生活が今とかわらないことのよい説明になっている。あとデストピア的というか、ギャングとスラム街の話にしているから、風景がいまとかわらないこの設定はよく作られていると思う。

それでタイムスリップの技術が完成したのはその30年後というのがいい。さらに未来の世界があって、そこの話が少しだけ描かれているというバランスも、2044年が現実のものに見えてくるというか。

これはタイムスリップものなんですが、脚本がかなりしっかりしている。難しい話になるかと思いきや、わりと頭を使わずに分かるというのもいいと思う。タイムスリップをつかったネタもいろいろあって素晴らしい。ターゲットを過去に送って、過去の暗殺者が殺人をするという設定もいいし、その暗殺者への報酬も銀塊という物体なのも納得だし、暗殺者たちは自分の口封じのために最後は未来の自分を殺して(「ループをとじる」という)大金を手にして残りの一生を豪遊するというのも、(それゆえに暗殺者はルーパーと呼ばれる)ここまでのことが初期設定というのも驚き。この設定の上で話が進んで行く。

最終的に話の舞台も巨大な農地で、絵面はぜんぜんSFっぽくなくて、論点が家族愛とか子供の未来を信じれるかどうかになっていくんだけど、それも良かったと思う。SFが特に好きではない人にもサスペンスと人間愛の物語としてみてもらえると思う。

劇中で出てくるレインメーカーっていう名前ってさ、血の雨を降らす人って意味かな。一瞬だけど血がむっちゃでるシーンがあったじゃないですか。あれみたいなことをレインメーカーが何度もやっていて、そう呼ばれるようになったとかかな。

で、ちょっとね、ここからルーパーから離れることも書いていくんですけど。

LOOPERもタイムスリップものなので当然タイムパラドックスが起きるんです。未来から来た人がいるけど、過去が変わったとしても未来人はそのままそこにいて、未来人の過去に関する記憶がぼやけて新たに更新されるという理屈。そこの説明も「記憶というのは天気のように晴れたり曇ったりする」という説明で、さらに「これは説明がむずかしい」ということで劇中に未来人と過去人が出会ってしまうことの危険性とかパラドックスについての説明を放棄しているのがいい。
ドラえもんにあった「どの交通手段を使っても同じ目的地に着ける」という説明にちかいものな気がする。ドラえもんにもLOOPERにも矛盾はあるんだろうけど、それを納得させる雰囲気を出せるかどうかって大事ですよね。

設定の矛盾よりも、その設定をもとにどういう展開をさせるかが大事ですよ。
すごいなと思ったのは『デスノート』です。「ノートに名前を書くと、その人が死ぬ」っていう設定って斬新というよりは小学生が考えそうなアイデアに見えるんですが、そのルールをもとに心理戦というかサスペンスをめっちゃ展開していくじゃないですか。いかに他人にばれずに名前を書くかとか、誰に書かせるかとか真剣にキャラクターたちが考えて戦っていく。その話が進んで行くなかで「いや、ノートに名前を書くだけで死ぬっておかしくない?」って言うのは野暮なんですよ、バカなんですよ。

将棋の歩の動きに対して「横に動けば勝てるじゃん」っていうのは無意味なんですよ。棋士たちは「歩は前にしかいけない」というルールの上にものすごい戦いを繰り広げてくれるわけで。初期設定よりも、そこからの展開の方が大事だって話です。
というか優秀な作家なら設定がなんであれ、面白い話が作れると信じているんですが。

キン肉マンだってね、あるじゃないですかウォーズマン理論というやつが。
「(ベアークローを両手につけて)100万パワー+100万パワーで200万パワー!! いつもの2倍のジャンプが加わり、200万×2の400万パワー!! そして、いつもの3倍の回転を加えれば、400万×3の バッファローマン!お前をうわまわる1200万パワーだーっ!!」

もうね、めちゃくちゃなんですが、「これでいいんだー!!!」って勢いでやってくれたら、それでいいんですよ。変に正しく理屈を説明しようとしてほころびが目立ってくるよりも。

『バックトゥーザフューチャー』もタイムパラドックスが起きると写真の中の人物が徐々に薄くなって消えていくって、理屈で言ったら写真のインクがどうにかなるの?みたいなつっこみは不要ですよね。「そうなんだ!」って直感で分かることに置き換えてくれればよいわけで。

タイムパラドックスを解消するために設定をうだうだ考えるのやめたらいいんじゃないかな?っていう話かな?そうよね。SFだって未来とか科学技術を描きたいんじゃないですもの。その世界の中での人間賛歌とか人類愛を描きたいんですから、そこができていればパラドックスがあったってご愛嬌、あばたもえくぼ、アバターエルボーですよ。

ではこのへんで。