ブロックを積み上げてその上に立つ

ボイトレの3回目に行ってきました。

表情筋のトレーニングとかしてベロを動かしてたら気分が悪くなるくらい疲れた。運動とか筋トレとかやりすぎると疲れを通り越して体の内側(たぶん筋肉)の気分が悪くなるよね。ぐわーって気持ち悪い塊がぐるぐる体の中にたまる感じ。ならないかな。
舌根と言ってベロの付け根が鍛えられたらしいです。滑舌がよくなるらしいです。

あと息を大きく吐いたり小さく吐いたりってのをやったんだけど、前回は全然強弱をつけれなかったのに今回はうまくできた。前は大きくと小さくの差が4〜7くらいしかなかったのが今回は2〜9くらいまで広がった感じ。たぶんもっと小さいのと大きいのがあると思うけど、とりあえず範囲が広がった。これはどこかの筋肉が鍛えられたとかではなくて「自分がどこまでできるかを自覚した」からだと思う。

自分の体がどこまで動くのかって自覚がないと動かすことってできないんだよね。脳で自覚して、脳からの命令でその範囲内で活動をしていると思うんですよ。だから「ここまでできる」っていう範囲の認識を少しずつ広くしていくことで自分の体の動かし方を上手にできるようになると思う。

これって、作品作りにも同じことが言えるんじゃなかろうか。

僕はいままでたくさんの映像を作ってきたんですよ。あ、100個超えたんですよ。
学生時代から映像作品に通し番号を降っていて、パソコンのフォルダを管理するためなんですけど、いまやっている仕事が75番なんですね。1個の仕事で10個とか20個とかコマ撮りを作る仕事もあるし、仕事じゃない映像とかはこのカウントに入ってないのもあるから番号以上にも作ってて、なので合計は100個を超えてるんですよ。われながらすごいなぁ。生涯で何作品作れるんだろうか。1000個とかいけるんだろうか。

いや、それでですね、1個作るごとに「自分がどこまで作れるか」というのが自覚できるんですよ。
何コマとれたとか、どれだけ美術作ったとか、どれだけ細かい動きができた、はげしい動きができた、カメラアングルをがんばれた、色を意識できた、スタッフへの指示がうまくいった、スケジュールがちょっと見通せた、などなど出来たことが色々とあって、同時にできなかったことも色々あって、それらを全部踏まえて次のコマ撮りを作るときに「前回はあそこまでがんばれたから、今回はこれくらいできるだろう、これくらいがんばろう」とか思えるわけですよ。ちょっとずつ出来ることを拡張するんですよ。

例えるならジョギングをはじめた人が「今日は1km走ろう」からスタートして「次は2km走ろう」と増やしていって何日もやっていたら10km走れるようになったみたいな。
これは実は最初から10km走れる体力があったかもしれないんですが、走った経験がないといきなり10kmはできないんですよね。体力や筋力があってもペース配分を間違えてバテることだってあるし。
「自分はここまで走れるはず」という認識・覚悟があることで、そこからプラスアルファの努力ができるというか。

センスがあって何も知識ない状態からいきなりぶっ飛んだ作品をつくる天才たちもいますが。

何が言いたいかというと「とにかくたくさん作品を作ろうか」ということです。
作った数しか成長できません。
「質より量」ってミシェル=ゴンドリー監督も言ってましたし。

【 その上にまたブロックを積み上げて、またその上に立つ 】