『幼年期の終わり』読み終わりました。

大学の先輩の越智さんのおかげでこのワードプレスの気に入らないいくつかが修正されました。
ヘッダー画像(現在キリンのやつ)がなぜか左にずれていたのを中央揃えに、
個別の記事ページにいくとタイトルが灰色になっていたのを黄色に直しました。
ありがとうございました!
まだ直したいところはあるけれど、とりあえずこれでいいや。

越智さんはシステムエンジニアではなくプロコーチです。
なんのことかわからんでしょうが、それについてもいつか書きます。

プロコーチ越智さんのサイトはこちら
心の境界線研究所

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さてー、『幼年期の終わり』を読み終わりました。
自分の読書記録としてここにメモしておきたい。

1953年の小説
作者はイギリスのSF作家、アーサー=C=クラーク。

有名なのは『2001年宇宙の旅』の作者ってことですね。
そのことは全然知らなくて読み終わった後の解説を読んで知ったんですけど。
そっちも今度読もうかな。

内容とか全然しらずにタイトルを見て買ったんですよ。
Bloodborneという血がブシャブシャ飛び散るグロいアクションゲームがありまして、PS4なんですけど、それを1年くらいずっとやってました。このゲームはすごい好きです。ダークソウルシリーズも好きだけどいろんなセンスはBloodborneの方が好きやわ。

それのエンディングのタイトルが「幼年期のはじまり」だったんですね。
(ゲーム中にストーリー分岐があって3つのエンディングにそれぞれタイトルがあるのです)
それで、先日というかいつか忘れたけどAmazonで買い物をしているときに「おすすめ」でこの小説が出てきて「このタイトルは!?」とびっくりして、ちょこっとだけネットで調べて(調べすぎるとネタバレがこわいから)Bloodborneの元ネタらしいということで買って読みました。

小説すんごい面白かったです。

以下、『幼年期の終わり』と『Bloodborne』のネタバレを含む感想です。
Bloodborneには「上位者」というモンスターというか、ざっくり言って超きもちわるい宇宙人が出てくるんですけど、『幼年期の終わり』にも上帝(オーバーロードと呼びます)という宇宙人が出てきました。こちらも気持ち悪くて古い宗教にでてくる悪魔にそっくりな見た目という設定。
ですが、僕の頭の中では翼が生えた山羊の頭の悪魔ではなくBloodborneのラスボス「月の魔物」のイメージで読んでました。

そして、巨大な眼球の描写もあったよ!
Bloodborneにちょいちょい眼球がモチーフとして出てきたり、巨大な脳みそとそれにくっついた巨大な目ん玉の敵(敵かどうかわかんないけど)がでてくるんですが、『幼年期の終わり』にも似た様なものが出てきたよ!直径100メートルくらいの目玉だけの生き物。

まー、これをパクリというのは違うと思う。
僕もなにかしら作ってる人種としてコメントしたいのですが
「あ、このキャラおもしろいから、自分の作品にも出しちゃお☆」みたいな考えではないのです。

1つの作品だけが元ネタなわけではなくて、いろんな作品を見てて、
自分の好みのモチーフをいくつもみつけるなかで
「やはり、これは面白いアイデアだ」って判断して
いろいろとまぜこぜしながら作るんですよね。
Bloodborneの元ネタは他にはクトゥルフ神話とかが言われてます。

ミームと言いますか、そういう作品の起源をさぐるのは好きです。

あるいはシンクロニシティという言い方ができると思う。

同じ様な作品を作る人たちというのは根っこの部分から似ていて、
オリジナルで発想しようとも、似てしまうのです。
コマ撮り作品で「月」をモチーフにしたものを作ろうと思ったら
月の作品を知り合いから立て続けに見せられたり。
コマ撮り作家(あるいは広くアニメ作家)は動物とか月とか海と魚が大好きです。
ネタがかぶりまくりです。

違う違う、『幼年期の終わり』の話がしたい。
宇宙人オーバーロードがやってくるところから話がはじまるんですが、そこから僕はずっと興奮しっぱなしでした。SF小説が好きなんですけど、SFの中でもどういうのが好きかというと、新しい技術とか時代が進んで人々の生活とか死生観とか宗教がどう変わっていったのかっていう描写があるのが好きなんです。

人間よりもはるかに文明がすすんだオーバーロードがやってくることによって人類の進化は一足飛びで進んでしまって、人々はそれを受け入れられるのか、また人々の考え方はどうかわってしまうのか。そういうのが気になって先を読み進め、そしてそういった描写がしっかり描かれていてとても満足でした。

終わりはバッドエンドのようなもんなんですけど。こういった人の存在よりも大きな存在(宇宙人とか宇宙の流れそのものとか)がでてくると、どうしたってハッピーエンドにはなりにくいよねー。というか、SF作家たちは基本ユートピアとかハッピーエンドは描かないよね。デストピアものも多いし。
誰が言っていたのかわかりませんが「こういう技術ができました。だから生活はこんなに便利になりますよ!というのは現代の技術者がすることで、その技術が発達することでどんな危険があるかを描くかがSF作家」みたいなことを聞きました。
すごくわかる。
フィクションだからこそ警鐘をならせるし、そもそも便利で明るい未来なんてものを単純に描いてもしょうがないしなーって思う。

ハッピーエンドではないですが、終わりはとてもよかったです。いくべきところへ人類は行ってしまったんです。

これほど巨大な物語は他に読んだことないかもなー。
良いとか悪いとかではないね。
ただただすごかった。

話の中で時代がすすんでいくので最初から最後まで通した人間の主人公というのがいないから、
普通の話が好きな人にはおすすめしにくいかもしれん。
そうだ、この話の中で、バッハの旋律を一人で聞く、という描写があったんですよ。
ちゃんと引用しておこう

彼は鍵盤の前に坐り、愛するバッハの旋律を空気中に満たしつつ過ごしていた。

サカナクションの曲で『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』というのがあって歌詞にも
「バッハの旋律をひとり聴いたせいです。こんな心」というのがあって、その曲が好きだもんだからちょっとびっくりしました。
たぶん、関係ないんだけど。

人類最後の男がひとりで何をしたかって、バッハを聴いて、ピアノの練習をするんですよ。
密かになりたいと思っていたピアニストにようやくその男はなれたんですよ。

そのくだりがとても良かった。

地球最後の日がきたら何をするかなーって考えると僕はコマ撮りをするかもしれん。
そんで作った映像をYouTubeにアップして、遠い未来に
「地球最後の日に作られたコマ撮り映像!」ってバズるのを夢見る矛盾。

でわー。